ウクライナという国

連日、悲惨な映像を目にするウクライナ。
(2022年4月23日現在)

日本からはるか遠くですが、ウクライナがこの先どうなるかによって、周辺国と領土問題を抱える日本も大きな影響を受けます。

10年前にウクライナを旅行した経験をもとに、ウクライナはどんな国か、国の成り立ちも含めてご紹介します。

☆首都キーウ(キエフ)

ドニプロ川の中流に位置するウクライナ最大の都市で、政治・経済・社会・学術・交通の中心地です。日本から空路で入る時には、まずキエフに降り立つことになります。

大都市ですが、見どころは街の中心にかたまっています。

キエフの中心、独立広場。
ウクライナ情勢を伝えるニュースでは必ずと言ってよいほど、ここの写真や映像が使われます。キエフ独立広場

広場に面して建つホテルから撮ったものです。
キエフ独立広場ホテル2

2013-14年に親ロ派の政権を倒す政変の中心になった場所です。当局の発砲で大勢の人たちが亡くなりました。

キエフ最古の教会、ソフィア大聖堂の鐘楼からの風景。キエフ一番のビュースポットです。「聖ミハイルの黄金ドーム修道院」が見えます。
聖ソフィアの鐘楼からの眺め

キエフの街のあちこちで、屋根がとんがったロシア正教の教会を見かけます。

19世紀ロシアの作曲家ムソルグスキーの名作「展覧会の絵」で描いた「キエフの大門」は、みやげ物屋が軒を連ねる観光スポットになっています。
キエフの大門

昔、キエフ市街を取り囲む城壁が築かれ、その時の入り口がこの門でした。今はほとんど崩れかけているのを、周りをコンクリートの壁を作って支えています。

キエフで一番の見どころは「ペチェールスカ大修道院」。
東スラブ民族(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ)の「心のふるさと」です。観光客だけでなく巡礼者たちもたくさん訪れます。日本で言えば伊勢神宮みたいなところです。ロシアがウクライナに執着する理由の一端がここでわかる気がします。ペチェールスカ大修道院

いかにも観光地っぽいところと、祈りの世界が混在している不思議な雰囲気です。昔から修道士たちが修行をしていた地下の洞窟はひんやりしていて、聖人になった多くの修道士たちのミイラが置かれています。

街の中心から地下鉄でアルセナーリナ駅まで行き、ここから歩いて20分くらいです。バスに乗ってもいい。

ウクライナの地下鉄の駅は、冷戦時代に核シェルターを兼ねていたため、ホームに降りるエスカレーターが異様に長い。

☆親ロ派の支配地域の中心、ドネツク

ウクライナの東部はロシア語を話す人が多く、親EU派が国の実権を握った後、2014年、分離独立を求めて抗議運動に立ち上がり、抑え込もうとするウクライナ政府軍と戦闘になりました。その結果、東部の2つの州の約半分はウクライナ政府の実効支配が及ばなくなり、ロシアの支援を得て半独立状態になっています。

旧ソ連時代から石炭が豊富に産する工業地帯でした。今もドネツクの周辺にはボタ山が残ります。採掘にあたった人の銅像は社会主義時代のものでしょう。
ドネツク炭田

筆者はヨーロッパの古い街を歩くのが大好きなのですが、ドネツクは殺風景で寒々とした感じの街並みで、写真を撮る気になれませんでした。いかにも工業都市といった趣です。

ドネツクは首都キエフから約700km(東京―岡山とほぼ同じ)で、筆者が訪れた2012年は高速鉄道が1日2便あって約7時間半かかりました。

☆西のEUを向くリヴィウ

ロシアっぽい、社会主義くさい東部のドネツクとは反対に、古き良きヨーロッパの風情が残るのが、西部の中心都市リヴィウです。

石畳の道に古い建物が並び、ドイツやオーストリアにあっても不思議ではない街並みです。中世には隣のポーランドと同じ国だったこともあり、その後、第一次世界大戦まではハプスブルク帝国の支配下にありました。
リヴィウ全景

こんなかわいい中庭もありました。
リヴィウの中庭

詳しくは⇒こちらへ

☆分断国家ウクライナ

日本での報道では、ロシアがNATOに入ろうとするウクライナの現政権を倒すために攻め込んだとされていますが、ここに至るまでの実態はそう単純ではありません。

ウクライナの公用語はウクライナ語ですが、ロシア語を母国語とする住民が東部を中心に多く住んでいて、EUよりロシアに親近感を感じています。国を挙げて西を向いているわけではないのです。ウクライナ語とロシア語はどちらもキリル文字を使い、日本人が聞いても区別がつきません。多くのウクライナ人はウクライナ語とロシア語のバイリンガルです。

旧ソ連が崩壊した時に、ウクライナは独立しました。この時に行われた住民投票では、ロシアに親近感を抱く住民が多数を占める地域も含むすべての地域が、ロシアではなく、新しくできたウクライナに帰属することを望みました。当時のロシアはすべてが混乱を極めていて、親近感はあっても「こいつらといっしょだと貧しいままだ」「新しい国には希望がありそうだ」くらいの思いだったでしょう。

その後のウクライナでは、親EU派と親ロシア派が交互に政権を担ってきました。2013-14年に騒乱を経て権力を握った親EU派が、EUやNATOへの加盟に向けて動き出すと、ロシアは親ロシア派の住民が多いクリミア半島に侵攻して強引に併合しました。

この頃のロシア経済は上向きで、生活水準は一時のどん底状態を抜け出てかなり良くなっていたため、ロシア人でなくウクライナ人であるメリットが相対的に薄れていました。そのため、クリミアで多数を占めるロシア系住民は、ロシア人になることを望み、ウクライナ政府は奪われた領土の奪回には動けませんでした。

そして、東部の2州では、親ロシア派が分離独立を求めて反乱を起こし内乱状態となりました。停戦はしましたが、ウクライナ国内に政府の実効支配が及ばない地域が残ることになりました。

☆ロシアにとってのウクライナ

スラブ民族が建てた最初の国が、9世紀から13世紀に栄えたキエフ大公国でした。キエフルーシーとも呼ばれています。ロシアもウクライナもこのキエフ大公国が文化的祖先です。そして、今のウクライナの地域がスラブ民族の居住する中心地帯だったのです。「ウクライナはロシアの高天原」と言った日本の政治家がいましたが、うまい例えですね。

ウクライナがNATOに入れば、ロシア人たちは自分たちの歴史の重要な部分が失われたような気になるのでしょう。ウクライナに自分たちを狙うミサイルが配備されるという軍事的な問題だけではなく、ロシア人たちの心の問題でもあるのです。

☆ウクライナにとってのロシア

民族的に同じルーツを持つとはいえ、複雑な思いがあるはずです。

全国民にロシアへの親近感はあるのでしょうが、旧ソ連の一部となって約70年、西側諸国が豊かになったのに比べて、貧しいままだったのは「ロシアと共にあったから」という思いがあります。1930年頃、ソ連の工業化のために穀物を供出させられ、数百万人が餓死したのも、今の反ロシアにつながっています。

ソ連崩壊後、旧東側の諸国がこぞってEU入りに向かったのと同じで、豊かになるためには西側へ行こうと思うのは当然と言えます。

☆ウクライナに行ってみよう

今はたいへんな時期ですが、コロナと戦争が終わって復興が進んだら、訪れてみたい魅力的な国でもあります。古き良きヨーロッパ、スラブ文化、社会主義の残滓が混在した不思議な世界を見ることができます。

日本から直行便が飛んでいるヨーロッパの主要都市からキエフに飛びます。安く行きたいなら中東経由もありです。

周辺国から陸路入ることもできますが、列車やバスが遅くて、そのうえ国境検問で長く留められるので、長時間かかります。筆者はリヴィウからポーランドのクラクフまで320kmを列車で移動しましたが、約8時間かかりました。バスでも同じくらいの所要時間でした。横浜から名古屋(JR鈍行で約6時間)とほぼ同じ距離です。

ともあれ、今は一刻も早く停戦して平和が戻ることを祈るしかありませんね。