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趣味で27年間、ヨーロッパを中心に世界を旅してます。 数えてみたら約350日が旅の空の下でした。 2014年春、サラリーマンをやめて、 フリーランスの経営コンサルタントになり、 時間が自由になったのをいいことに、 半年で50日間、12か国を旅しました。 多くの人が自分だけのすてきな旅ができるように 情報をたくさん提供していきます。

ナパワイナリー巡り

最近、ヨーロッパの名産地に匹敵する名声を獲得しつつあるカリフォルニアのナパワイン。

ナパのあるナパバレーは多くの観光客が訪れるアメリカ西海岸屈指の観光地ですが、それを感じさせないのどかな自然に触れながら、ワイナリーを訪れておいしいワインを味わうことができます。

そして、ありがたいことに、ナパは日本から最も手軽に出かけることができるワインの名産地でもあります。

☆ナパってどんなところ?

サンフランシスコから北へ約50キロのナパから北西に向かってカリストーガまでの細長い盆地に、ブドウ畑の丘陵が広がり、多くのワイナリーが点在しています。ナパバレー景色

前衛的な奇抜な外観のワイナリー、ヨーロッパの古城のようなワイナリー、リフトに乗ってアクセスする丘の上のワイナリーなどのユニークなところもあり、ワインを味わうだけでなく、ワイナリーを巡る楽しみもいっぱいです。ワイナリ噴水

多くのワイナリーではテイスティングコーナーが充実していて、テラス席でまわりの緑の丘を眺めながらワインを楽しめるところもあります。Napaテラス席

ツアーでも個人での訪問でもテイスティングできるワインはあらかじめ決まっていますが、追加料金を払って、興味のあるワインをテイスティングできるところもあります。

軽食を食べられるところもありますが、HPなどで禁止事項になっていない限り、チーズやクラッカーなどの小さいパッケージのおつまみをあらかじめ買って持ち込むのがお薦めです。

☆ナパへのアクセス

ビジネス客が多いこともあって、日本からサンフランシスコへは多数の直行フライトがあります。座席の供給数が多いせいもあって、値段はそれほど高くありません。

サンフランシスコからナパへは、
1. 空港または市内でレンタカーを借りる
2. 空港から直通バス(要予約、ネットで)
3. 空港または市内から鉄道(Bart)、船、路線バスを乗り継いでいく
のいずれかになります。

☆どうやってナパをまわるか?

最も手軽なのは、サンフランシスコかナパのダウンタウンで日帰りツアーに参加することです。現地の旅行会社や観光案内所にパンフレットが置いてあります。HPには主催会社へのリンクがあって、申込みからクレジットカードでの支払いまでできます。集合場所に行くか、事前に知らせておいた宿泊先でピックアップしてもらえます。

ワイナリーを案内してもらい、話を聴き、テイスティングというパタンが多いです。サンフランシスコ発のツアーは隣のソノマ地区のワイナリーも含むことがあります。テイスティング

ナパバレーを自転車並みのゆっくりとした速度で走るアンティーク列車、ワイントレインに乗って、線路沿いに広がるワイン畑ののどかな風景を眺めながら、ワインとカリフォルニア料理で優雅な時間を過ごすのもいいですね。列車はナパから北へ約30kmのセント・ヘレナまでゆっくり3時間かけて往復します。

ツアーでは主催会社が訪れるワイナリーを決めますが、自分で選んだワイナリーをまわりたい場合は、ナパから北へ約40Kmのカリストーガまでの幹線道路を走る路線バスが使えます。Napa道路と線路

多くのワイナリーは道路沿いのバス停から徒歩圏にありますが、離れた場所にあるワイナリーへは歩くかタクシーを使います。近くの街から送迎バスが出ているワイナリーもあります。

一般の人が見学してテイスティングできるワイナリーが多いですが、予約が必要なところがありますので、事前にHPなどで確認してください。見学は決まった時間にガイドの案内でまわるところと、各自が自由にまわれるところがあります。ワインカーヴ

なお、「ナパではレンタカーを利用してまわるのが効率的」という記載のあるガイドブックもあり、実際に、ナパのワイナリーでいっしょにテイスティングしていた人が車で走り去る人も見かけたことがありますが、絶対にやめましょう。カリフォルニアでも飲酒運転は厳禁です。

みなさん、飲みすぎないように、気をつけて!

世界のワイナリー巡りは⇒こちらへ

 

 

バスクを旅する(その2) : オンダリビア

オンダリビア(Hondarribia)があるバスク地方は、スペイン北東部からフランスにまたがり、古くから独自の文化が育まれた地方です。 ⇒地図

スペイン・バスクの東の端に位置するオンダリビアは、小高い丘の上に、カラフルな木組みの家が建ち並ぶ美しい街です。オンダリビア家並み

歩きながら左右の家並みをじっくり観ると、装飾された窓枠や、赤や緑などのカラフルなバルコニーに飾られた花々が、オンダリビアの街全体の豊かな色彩感を醸し出しているのがわかります。オンダリビアベランダ

通りの先には海。オンダリビア通り&海

街のあちらこちらにバスクの旗が見られます。オンダリビアバスクの旗

オンダリビアの中心のアルマス広場(Pl.de Armas)に面して建つのがカルロス5世城塞。今はパラドール(国営ホテル)として使われています。オンダリビアアルマス広場

パラドールの1階はバーになっていて、宿泊者でなくても利用できます。オンダリビアパラドール内部

観光案内所もこの広場のパラドールの向かいにあります。オンダリビア観光案内所

オンダリビアは、かつではバスク地方の重要拠点であったため、城壁に囲まれていました。その跡を今も見ることができます。 オンダリビア城壁

城壁跡は遊歩道になっていて、緑豊かなバスクの野原を眺められます。旧市街の周囲の住宅地から旧市街に入る時は城門をくぐります。 オンダリビア城壁の道オンダリビア城門

筆者が訪れた日(2016年9月7日)はお祭りでした。翌日が最も盛り上がる日とのことでした。オンダリビア祭り

☆オンダリビアへの行き方

バスク州の中心都市のひとつ、サン・セバスチャン(San Sebastian、バスク語ではDonostia)からバスで約40分。1時間に1本の運行です。バスは旧市街の丘に登るすぐ手前に着きます。

サン・セバスチャンのバス乗り場は、ギプスコア広場(Pl. de Gipuzkoa)。
地図

☆渡し船で国境を越える

オンダリビアはスペインのバスク自治州の東の端にあり、入り組んだ湾のようなビダソワ川を隔てた向こうはフランスです。⇒地図
川の向こうのアンダイヤ(Hendaye)とは渡し船で行き来できます。こんな小さな船で国境越です。30分ごとの運行です。オンダリビア渡し船

フランス側から見たオンダリビアの街。オンダリビア全景

アンダイヤへは、フランスのボルドーから列車で2時間25~50分。パリからの直通TGVもあります。アンダイヤの駅から渡し船乗り場まで3.5キロあり、バスは本数が少ないので、タクシーを拾ったほうがいいでしょう。

オンダリビアは元々は漁村でしたが、最近は、観光客が急速に増えているとのこと。サン・セバスチャンから気軽に行けますので、美しい家並みを観に、ぜひお出かけください。

 

 

 

トランシルバニアの旅:ブラショフとドラキュラ城

ルーマニアのいなか、トランシルバニア地方を旅してきました。低い緑の丘が連なるのどかな地方で、地理的に南のルーマニアの中心地より、西のハンガリー、その向こうのドイツとのつながりが強く、古くからいろんな文化が混ざり合った街が点在しています。

☆トランシルバニアの位置

トランシルバニアはルーマニア中部に位置しています。トランシルバニア地図

出典:GoogleMap

首都ブカレストがあるワラキア平原とは険しいカルパチア山脈で隔てられ、西に国境を接するハンガリーに向かって開けています。

ローマ時代には今のルーマニア人たちの先祖の人たちが住んでいましたが、ローマ帝国崩壊後、9世紀にはハンガリー人、12世紀にはドイツ人たちが移住してきて、城壁に囲まれた街を建設しました。

筆者は2019年5月、これらのうちの2つの街に滞在するとともに、まわりの豊かな自然を味わってきました。

☆ブラショフ(Brasov)

ブラショフはトランシルバニアを代表する古都です。ブカレストから電車で行くと、険しい山脈を越えてすぐのところに、緑の山々に抱かれるようにしてブラショフがあります。

ブラショフは12世紀にドイツ人たちが築いた街です。街を歩いているとドイツの香りがします。

ブラショフを三方から取り囲む山々は街のすぐ側まで迫っていますので、多くの通りの先には緑の山並みが顔を出します。赤褐色系の色合いの建物とのコントラストが鮮やかです。Brasov通りと黒の教会

大通りの先に、ブラショフ第一の観光名所、黒の教会が鎮座しています。高台から見下ろすとかなり巨大です。トランシルバニア地方で最大のゴシック建築です。Brasov黒の教会

ブラショフ一の繁華街、レプブリチ通りは両側のドイツ風の建物に様々なお店が入る歩行者天国です。筆者が訪れた土曜午後は、買い物を楽しむ地元の人たちでにぎわっていました。Brasovレプブリチ通り

レプブリチ通りの先がブラショフの中心、スファトゥルイ広場。カフェやレストランのオープンテラス席が気持ちいい。黒の教会の端がこの広場に面し、反対側にある旧市庁舎は博物館になっています。Brasovスファトゥルイ広場

ブラショフで泊るのは、このスファトゥルイ広場から徒歩圏がお薦めです。広場に面したホテルも数軒あります。

ドイツ人たちがブラショフに移住してくると、もともと住んでいたルーマニア人たちは街の端っこの追いやられました。このスケイ門は両民族の居住地の境にあります。Brasovスケイ門

ルーマニア人たちの宗教はルーマニア正教で、ルーマニア人居住区に聖ニコラエ教会が建っています。聖ニコラエ教会

街のど真ん中にあるドイツ風のどっしりした黒の教会とは外観も内部の造りも全然違います。 同じキリスト教でもカトリックと正教は別物です。

ブラショフは建設されて以来、オスマントルコ、ハプスブルクなどの外部から侵入する敵に何度も脅かされてきました。今も街を囲む城壁の一部が残っています。Brasov城壁

ブラショフの街を一望できる展望台が街の北西と南東にひとつづつあります。

南東のトゥンバ山の展望台にはロープーウェイで登れます。旧市庁舎とスファトゥルイ広場を中心とした街並みの向こうに、もうひとつの展望台である白い塔が見えています。Brasovロープーウェイ

このブラショフを起点に周囲の豊かな自然の中に点在するお城や教会を巡るのがトランシルバニア旅の楽しみです。筆者は一番メジャーなドラキュラの城を訪れました。

☆ドラキュラの城

吸血鬼ドラキュラの居城のモデルになったブラン(Bran)城はブラショフから約30Kmにあります。

下から見上げると寒々とした印象です。血を吸われることはないにしても、プチ怖い体験ができそうな感じがしたのですが・・・・・ブラン城全景

今のブラン城はトランシルバニア地方随一の観光地で、チケットを買ってから入場できるまで1時間近くの行列でした。現地のガイドさんによると、夏の観光シーズンには2時間待ちもざらとのこと。ブラン城長蛇の列

お城の直下にはみやげ物店が並びます。ブラン城みやげ物店

もう少し不気味な雰囲気を期待して来たのですが、場内もけっこう混んでいました。ブラン城内部

城主の部屋などたくさんの部屋が見学できます。ブラン城展示

吸血鬼ドラキュラのモデルになったヴラド・ツェペシュの肖像もありました。ドラキュラ公

このブラン城を築いたのはドラキュラ公の祖父とのこと。

☆ブラン城への行き方

ブラショフの街の中心からバスで2kmほど行ったところにあるバスターミナルからブラン城行きのバスが1時間に1~2本出ています。

しかし、筆者が訪れたのは祝日で完全運休でしたので、ブラショフで日本人(Samurai Travel、奥様は地元の方)が経営している旅行会社のミニバンで連れていってもらいました。ブラショフの旅行会社の多くがブラン城行のツアーを催行しています。

路線バスで行かれる方は、祝日でなくても通常の土日も運行本数は減りますので要注意です。

☆ブラショフへの行き方

ルーマニアの首都ブカレストから電車やバスが頻発しています。電車はブカレスト・ノルド駅から最短で2時間半。

オーストリアの首都ウィーンからも直通列車があります。長時間かかりますが、シギショアラなどのトランシルバニアの街に途中下車しながら旅するのも一興かと思います。

☆シギショアラ(Sighisoara)

筆者が訪れたもうひとつの魅力的な街がシギショアラ。

城壁がほぼ残り、その内側に中世の建物がぎっしりコンパクトに詰まっています。詳しくは⇒こちらへ

トランシルバニアはのどかな自然の中に中世の街がたたずみます。行くには不便なところですが訪ねる価値は十分です。筆者は3日間の滞在でしたが、将来もっと時間をかけてじっくり旅してみたいと思いました。

ルーマニア全体の旅ガイドは⇒こちらへ

では、皆さん、良い旅を!

 

 

 

 

 

 

 

ブコヴィナ:ルーマニアの秘境の修道院巡り

ルーマニアのブコヴィナ地方はヨーロッパの秘境と言っていいでしょう。2019年4月、このブコヴィナ地方にある世界遺産の5つの修道院を巡ってきました。

☆ブコヴィナ地方ってどこ?

ブコヴィナ地方はルーマニア北部にあり、一部はウクライナ領になっています。 Bucovina Map出典:GoogleMap

のどかな田舎です。
今も馬車が運搬手段として使われているのを見かけます。Bucovina馬車

このあたりは、ルーマニアの母体のひとつになった、中世のモルドヴァ公国が栄えた地域で、モルドヴァ公国の北部一帯がブコヴィナ地方と呼ばれています。

共産圏にあった期間が長かったこともあって、産業開発は進んでおらず、昔ながらの風景が残っています。

☆ブコヴィナの修道院を巡るわけ

修道院は日本の神社や寺のようなもので、修道士がイエス・キリストの精神に倣って祈りと労働のうちに共同生活をする宗教施設です。ヨーロッパ各地にあるのですが、ブコヴィナ地方の修道院は他とちょっと違います。

修道院の内部装飾に聖人の肖像画や聖書の一場面を題材にしたフレスコ画が描かれるのはよくあるのですが、ブコヴィナの修道院では、内部だけでなく外壁にも描かれています。

聖書を読むことができない農民たちにわかりやすく布教するために描かれたもので、描かれた当初は色鮮やかで輝くばかりであったのでしょうが、長年の風雪による劣化は進んでいます。保存状況は、修道院によって、外壁が面している方向によって、風を遮る防壁の有無によって違います。

フモル(Humor)修道院。フモル修道院

外壁にびっしりフレスコ画が描かれています。フモル修道院外壁

モルドヴィツァ(Moldovita)修道院。Moldvita Monestry全景

モルドヴィツァ修道院の外壁だけは、宗教的な題材だけではなく、戦闘場面が描かれています。兵士の顔や装備は、これが描かれた当時にブコヴィナ地方を脅かしていたトルコ軍のものです。当時の緊迫した社会状況をあらわしています。Moldvita Monestry戦争壁画

スチェヴィツァ(Sucevita)修道院は世界遺産の5つの修道院のなかで最も大きく、かつ、外壁のフレスコ画の保存状態が最も良いと言われています。残念なことに、筆者が訪れた時は大規模メンテナンス中でした。SucevitaMonestery

こうした努力が続けらているおかげで、私たちは中世の文化遺産を目にすることができるわけです。

もうひとつ、ブコヴィナの修道院がユニークなのは、宗教施設だけではなく、要塞でもあったことです。修道院は厚い石塀で囲まれ、敵の侵入を防ぐ砦として機能するように建てられています。

ヴァロネツ修道院の石塀はお城のようです。Voronet Monastery 2

どの修道院も門をくぐって入ります。これはフモル修道院。Humor Monestery 門

フモル修道院には見張りの塔まであります。Humor Monestery見張りの塔

見張りの塔から見る風景はのどかですが、建設当初はここから敵の軍勢が見えたのでしょう。Humor Monestery 周囲の風景

修道院が造られた16~17世紀、ブコヴィナはトルコなどの他民族に侵略され、町や集落が焼き尽くされることがよくありましたが、そのような時代の文物が後世に受け継がれることがほとんどなく、ブコヴィナの文化を何とか残すことができたのは、要塞のように作られた修道院だけだったのです。

☆ブコヴィナの修道院へのアクセス

起点となる街はスチャヴァ(Suceava)です。ルーマニアの首都ブカレストから列車で約7時間かかります。空路では1時間15分のフライトで1日1~3便です。 Suceava12月22日広場

ブコヴィナ修道院に電車やバスで行くのは難しい。最もアクセスが良いヴァロネツ修道院でも、最寄りのグラ・フモルルイ駅から約5kmあります。修道院までのミニバスが運行されているところもありますが、運行頻度は多くありません。

したがって、ブコヴィナ修道院巡りにはレンタカーか、スチャヴァ発のツアーを利用するのがいいでしょう。筆者が訪れたのはオフシーズンで、ツアーの最小催行人数が集まらなかったので、タクシーを借り切って5つの修道院を巡りました。約7時間で80€(≒¥10,000)でした。

スチャヴァを出発するとすぐに緑の丘をアップダウンするのどがな道が続きます。 Bucovina道路

タクシーのドライバーさんは観光ガイドはしてくれませんが、世間話の中で今のブコヴィナ地方の状況をいろいろ聞くことができました。

修道院に到着すると、タクシーのドライバーさんと待ち合わせ場所と時刻を決めて、その間に修道院を見学しました。

秘境と言っても、人里離れて周囲に何もないところではなく、数分歩けば飲み物やスナック類が買えるお店がある修道院もあります。敷地内にヨーロッパでは珍しい飲み物の自販機がある修道院もあります。しかし、ランチが食べられる飲食店はどこも近くにはありませんでした。

ツアーで訪れる際にはランチに寄ってくれるか事前に確認し、ランチタイムが設けられていない場合は、軽食類を持っていったほうがいいでしょう。

ヨーロッパの中でも日本人があまり行かないところを訪ね歩くのが大好きな筆者でも、ブコヴィナの修道院はアクセスが難しいところでした。しかし、行ってよかった!

ルーマニア全体の旅ガイドは⇒こちらへ

みなさん、良い旅を!

 

 

 

湖水地方:美しいイギリスのいなかを旅する

湖と山が織りなすのどかな風景。 イングランド北西部の湖水地方(The Lake District)では、美しい自然に心癒されます。

バス、船などの公共交通機関、B&Bなど観光インフラが整備されていますので、便利に快適に旅できます。

湖水地方は広大なエリアで、すべて観光するには数日必要ですが、1泊2日でもそのエッセンスを楽しむことができます。

まずは、筆者が1日で観光した4か所をご紹介します。

☆ウィンダミア(Windemere)

湖水地方南部で最も大きな街です。レストランやみやげもの店などが建ち並ぶメインストリートは賑やかです。Windermere街

駅の背後の丘から観るウィンダミア湖。Windermere湖

ウォーターリゾートという感じの街で、湖畔にはクルーズ船やボートなどが係留されています。Windemere湖畔

☆アンブルサイド(Ambleside)

ウィンダミアから北へバスで約15分、ホテルやレストランがたくさんある、賑やかな街です。AmblesideTown

おもしろい建物があると思ったら教会でした。Ambleside教会

ここは周囲の山のトレッキングの拠点にもなっています。

☆グラスミア(Grasmere)

ため息が出そうなくらい美しい村です。昼間、街中にあふれている観光客が去った後の静寂の中で過ごしたい方はここに滞在されることをお薦めします。

村の中心から10分も歩くと、こんな湖水地方の代表的な景色が広がります。グラスミア湖畔はあまりにのどかです。Grasmere湖

緑の中に佇むタウンホール。GrasmereHall

川沿いのカフェ。GrasmereKaffee

☆ケズィック(Keswick)

湖水地方の北の玄関口です。緑の丘が街を取り巻きます。街の中心のバスターミナルから多くの路線バスが出ているので、ここを起点に湖水地方北部を巡ることができます。

ゲズィックの中心街は賑やかです。

Keswick

ここで市が開かれます。

☆湖水地方の観光プラン

さまざまな街を泊まり歩くプランもできますが、ベースとなる街を決め、そこにホテルを取り、荷物を置いて、周辺の街を巡るほうがよいように思います。バスの本数がかなりあり、周遊する範囲もさほど広大ではないので、移動時間の無駄は少ないからです。

ベースにするには、鉄道駅があり、B&Bがたくさんあって、多くのツアーの出発点になっている南部のウィンダミアか北部のケズィックがいいでしょう。

トレッキングされる方はアンブルサイド、静けさの中で過ごされたい方はグラスミアも候補になります。

湖水地方では、バス路線、湖の船便の公共交通機関が充実しているので、自分のプランでまわることもできます。バス1日乗り放題チケットがお得です。湖水地方バス

ウィンダミア、ケズィックから1日または半日のツアーがたくさん出ています。バスの通らない絶景ポイントにも行くことができます。

各街の観光案内所に資料がたくさん置いてあります。観光案内所のHPからリンクしているツアーオペレーターのHPでも申し込むこともできます。

レンタカーでまわるとさらに旅の自由度は増します。

ロンドンからの日帰り1日ツアーもありますが、やめたほうがいいでしょう。移動に時間がかかりすぎて、湖水地方の観光時間が3~4時間しかとれません。

☆湖水地方への行き方

ロンドンやマンチェスターからは列車が便利です。スコットランドに向かう幹線上にあり特急停車駅のオクセンホルム・レイク・ディストリクト(Oxenholme Lake District )で乗り換えて、ウィンダミアまでローカル列車約20分です。

エジンバラやグラスゴーからは、同じ幹線上のカーライル(Carlisle)で降り、バスでケズィックまで約50分です。

みなさん、湖水地方ですてきな癒し旅を!

インバウンドの観光公害を防ぐには人数制限するしかない

合掌造りで有名で、世界遺産にも登録されている白川郷。
昨年初めて訪れてびっくりしたのですが、外国人だらけで、観光客が集まっているエリアでは日本語があまり聞こえてきませんでした。売店の人に尋ねたところ、日本人観光客は少数派になっているとのこと。

あまりの混雑ぶりに、村民からは不満の声が上がっているとのことで、最近、村を一望する展望台に登れる人数を制限するなどの規制を導入したそうですが、一方で、村の中心から徒歩数分のところに大型駐車場を設けたり、今年になって、大型ホテルがオープンしました。どうしても外国人観光客を増やしたいようです。

白川郷に限らず日本各地の観光地で発生している、いわゆる「観光公害」、「オーバーツーリズム」の問題に取り組む必要が認識され始めました。

ヨーロッパを中心に筆者がこれまで訪れてきた、いなかの美しく静かな町や村と比べると、日本の地方の観光地の昨今の状況には疑問を感じます。

☆フランスでは公共交通機関をわざと不便にしている

「フランスの美しい村」をご存じでしょうか?
1982年に設立された「フランスの美しい村」協会が、人口、景観、土地利用などの厳しい制限を満たした田舎の小さな村を認定し、その観光を促進しようというものです。

そのうちのいくつかを訪れたことがあるのですが、とても観光を促進しようとしているとは思えないくらい不便なところにあります。

ワインの名産地で、中世の建物が多く残り、世界遺産にも登録されているフランスのサンテミリオン(Saint-Emilion)は、近くのフランス第5の都市ボルドーから40kmほどのところにあるのですが、ボルドーからの電車は1日10本弱で、サンテミリオン駅から村まで約2kmは公共交通機関がありません。サンテミリオンへの道1

ボルドーからサンテミリオンの村の中心まで直行するバスもあるのですが、朝夕限定の1日3~4本だけ。土日祝日はさらに本数が減ります。
(サンテミリオンについては⇒こちらへ

他の美しい村も状況はほぼ同じです。巡礼の村として有名なコンク(Conques)は平日のみの1日1本しかバス便がありません。

わざと公共交通機関を不便にしているとしか思えません。

不便を忍んで来てくれた人だけに、美しい景観と文化財を見せてあげる、最高の体験をさせてあげるということです。

サンテミリオンもコンクも村の中に大型ホテルはなく、昼間はバスツアーで訪れる観光客がたむろしていても、朝夕は静寂そのもの。みやげ物店はありますが、通りに張り出した看板など、景観を損ねるものは一切ありません。オーバーツーリズムによる村の俗化を避けようフランス人の知恵と言えるでしょう。

白川郷とはあまりに発想が違います。

☆便利さを追求する弊害

観光客に来てほしい一心で、アクセスを便利にし、ホテルやみやげ物店など観光客用の施設を作っていくと、そこの景観はどんどん崩れていったり、そこの住民の平穏な生活が脅かされたり、最悪は、土地の値上がりで元からいた住民が住めなくなったりすることがあります。

日本は外国人観光客の数を増やすことばかりに熱心で、文化や景観を大事にしようとする思いがあまりに希薄です。

☆不便でも来たい外国人観光客は来る

フランスの例でもわかるように、いくら不便でも、その土地の景観、文化、歴史に関心があれば外国人観光客は来ます。

むしろ、ただ有名だからという理由で来る外国人観光客は、その土地の文化へのレスペクトに欠けて、マナーがよろしくないこともあるので、減らしたほうがいいでしょう。

先日、奈良の東大寺大仏殿で、境内入口に座り込んでいるのを係員に注意されている中国人観光客が多数いました。

アクセスを不便にして訪れる人数を制限する

のは、観光公害、オーバーツーリズムへの対策として有効です。

入場料、拝観料を高額にして、ほんとうに観たい人だけが観れるようにする

ことも考えられます。現在、日本の神社仏閣、庭園、古い建築物への入場料・拝観料は、ヨーロッパの同種の文化財と比べて破格の安さです。昨今の円安、インフレでその差は益々広がっています。

文化財を管理している施設の人たち、それがある地方自治体の役人たちにはヘンな思い込みがあるようです。祖先が作り上げた偉大な文化財をできるだけたくさんの人に観てもらいたいというものです。

それは、拝観に訪れる観光客が、同じような文化を共有していることが前提になりますが、昨今のツーリズム全盛の時代にはそぐわない考え方です。

「金持ちだけしか観られないのか」との批判もあるでしょうが、気にする必要はありません。私たちは自由主義経済の世界で生きているので、価格によって需要(入場したい観光客数)をコントロールするのは当然です。どうしても値上げに抵抗あるなら、くじ引きにする手もあります。京都の桂離宮などで一部の寺社では実際にそうしています。

この先の低成長経済を考えると、インバウンド観光を促進しようという政策意図はわかります。しかし一方で、観光公害を抑制し、地域住民の生活と折り合いをつけるに目指すべきは外国人観光客の数でないことを認識すべき時にきています。

インバウンドで地方創生に思うこと

最近よく聞く「インバウンドで地方創生」。
これまで30年あまり、ヨーロッパを中心に世界を旅してきた筆者には奇妙に思えます。

☆「インバウンドで地方創生」の根底にある発想

地方の産業は衰退し、人口が減って、どこの地方自治体も財政的に苦しく、将来は維持困難になる状況にあります。そこで、この数年激増している外国人観光客を地方へ呼び込み、彼らに地方でたくさん消費してもらうことによって、地方経済を活性化しようというものです。

インバウンド観光は、首都圏~富士山~京都・大阪のいわゆる「ゴールデンルート」に集中しているので、これを地方に分散させようということです。

☆発想自体が間違っている

この発想って、どこかで聞いたことがありませんか? そう、1960-70年代の高度成長期の後半に、太平洋ベルト地帯に集中しすぎた産業を地方に分散化することで、国土の均衡ある発展を図ろうとする政策です。

産業の立地は、インフラの整備状況、当該企業が求める労働力の有無、製品・サービスの市場との地理的な距離によって決まります。ほとんどの企業は合理的な基準によって、生産、販売をどこで行うかを決めます。

一方、外国人観光客が日本のどこを旅するかの合理的な基準はありません。個人個人が行きたいところに行くのです。観たいものがあるところ、希望のアクティビティができるところに行くのです。予測は極めて難しいと言えます。

最近、日本人が思いもよらない場所に外国人観光客が集中することが起こっています。例えば、鎌倉の江ノ電の踏切に台湾人がたむろしているのが話題になりました。台湾で人気のアニメの舞台になっているからです。外国で人気の日本アニメの舞台になっているところは鎌倉高校前以外にもいくつかありますが、ここにこれだけ多くの台湾人観光客が集まる合理的な理由を見出すことはできないでしょう。

外国人の最初の訪日観光旅行では有名な観光地が目的地となります。これがゴールデンルートです。イタリアを観光する日本人が、まず、ローマ、ベネチア、フォレンツェといった定番観光地を訪れるのと同じです。

最初の訪問に満足して、二度三度と日本に観光に訪れる人たちの選択肢として初めて地方が浮かびます。但し、必ず選択肢になるわけではなく、地方には行かず、最初の訪問時には時間的制約で行けなかった東京や京都の観光地を次に訪れようという観光客もいます。同じ観光地の深堀りということです。

地方に外国人観光客を呼び込もうとするなら、外国人観光客を惹きつけるコンテンツをアピールし、ないのであれば何をどのように準備するかを考えるが第一歩です。

産業誘致は、道路などのインフラ整備とセットで考えられていましたが、昨今のインバウンド誘客では、ただ「おもてなしするから来てください」だけです。

案内標識を多言語化しようとか、WiFiを整備しようとしているところはありますが、インバウンド誘客にとって本質的なことではありません。案内標識が日本語だけでも、WiFiがなくても、魅力的なコンテンツがあれば外国人観光客は訪れるのです。

☆「おもてなし」では地方に外国人観光客を呼べない

東京オリンピック招致に成功して以来、観光業関係者が「お・も・て・な・し」をやたらと口にするようになりました。インバウンド誘客に力を入れる自治体関係者も同様です。

しかし、日本を観光旅行しようとする外国人観光客が訪問地を選ぶ基準に「お・も・て・な・し」はありません。外国人観光客は、
・観たい
・したい
ものがあるところを訪れます。「お・も・て・な・し」はあれば尚可くらいです。

われわれがイタリアやフランスを観光しようとする時に、どこを訪れるかを考えてみれば当然のことです。「北イタリアのブレシアに宿泊すればイタリアNo.1のおもてなしが受けられます」という宣伝文句を聞いて、ブレシアを訪れよう、泊ろうという日本人はほぼ皆無でしょう。北イタリアを観光旅行する日本人の大部分はミラノ、ベネチア、トリノに泊ります。日帰りでもブレシアを訪れる日本人観光客はほとんどいません。ミラノ、ベネチア、トリノには街の景観、文化財など日本人観光客の観たいものがあり、買い物、オペラ観劇、サッカー観戦などのしたいことがあるからです。(ブレシアも魅力的な街だと筆者は思っていますが)

☆外国人向けコンテンツを一から創造するのは難しい

ないなら創ればいいでしょう、と言われそうですが、これがなかなか難しい

観光庁の調査によれば、外国人観光客が日本を訪れる目的は、①食事 ②ショッピング ③自然や景勝地の観光 ④街歩き ⑤温泉 です。

これに対応したコンテンツがあることが外国人観光客誘致の最低条件です。①②は、「その地方にしかない」ものが食べられるか、買えるかということです。全国津々浦々多くの温泉があることを考えると⑤も同様でしょう。これらを外国人観光客を狙って新たに造り出せるでしょうか?

確かに、観光客をターゲットにした施設などを新たに作って誘客に成功した事例は存在します。

伊勢神宮の前に江戸から明治期の伊勢路の建築物を移築などで再現して観光名所にした、あるいは、空港近くにショッピングモールを作って、爆買いの外国人観光客を招き寄せた、といった成功例はあります。

将来も、海外で人気になった映画、アニメ、ドラマのロケ地が突如、外国人の人気スポットになることはありえますが、狙って作れるものではありません。

つまり、

☆インバウンドで地方創生するには今あるコンテンツを商品化、カスタマイズする

しかないのです。

自然の景観に恵まれているところ、外国人が惹かれそうな古い街並みが残っているところ(例:京都、白川郷、川越)は現状を保全する努力が重要で、商品化・カスタマイズは説明資料(紙、ネット)と案内標識の多言語化、ガイドの養成くらいでしょう。

商品化、カスタマイズの例としては、

☆郷土料理を外国人向けにアレンジして提供するレストラン

☆地元の工芸品作りの体験教室

☆古くからある酒蔵巡りツアー

☆里山を巡るサイクリングツアー

といったことは実際に取り組まれています。

海外に向けてのプロモーションや、案内標識の多言語化に金をかける前に、その地方に外国人向けに提供できるコンテンツがどれだけあるかを棚卸し、それを外国人向けに商品化、カスタマイズする計画を立て、実際にやってみることが必要です。

外国人向けカスタマイズして提供できるコンテンツがない地方は、インバウンドによる地方創生は諦めるしかないのも現実です。

長らく日本の国土政策の基本理念となってきた「国土の均衡あり発展」をインバウンド観光に適用しようとするのは大間違いです。外国人観光客が楽しめるコンテンツがあって初めて地方に外国人観光客を誘致するプロモーションができるのです。

イストラ半島でヨーロッパの歴史を感じる旅

イストラ半島を巡る旅をしてきました、と言うと、
それ、どこ? って何度もきかれました。
日本ではほとんど知られてませんからね。

地中海に突き出たイタリア半島の右横で、やはりアドリア海にちょこっと突き出ているのがイストラ半島です。
地図

イストラ半島は大部分がクロアチアですが、つけ根の一部がスロベニアとイタリアです。第二次大戦までは全部イタリアだったので、イタリア語が併記された標識をよく見かけました。イタリア語ではイストリア(Istria)半島となります。

古代ローマ、中世のベネチア共和国、近世のハプスブルク帝国と、ヨーロッパの歴史を彩る大国の痕跡を感じるイストラ半島の旅でした。(2019年7月)

☆トリエステ(イタリア)

イストラ半島を巡る旅のスタートはイタリア西端の街、トリエステ(Trieste)。イタリア領が海沿いにスロベニアに食い込んでいます。国境まで2Kmもありません。⇒地図

ヨーロッパの街はどこでも街の中心になる広場があって、住民の憩いの場になってますが、イストラ半島の海辺の街では、広場は海に面しています。

トリエステのウニタ・ディタリア広場は、海に開けた一方以外は重厚な石造りの古い建物に囲まれています。Triesteウニタディタリア広場

広場の真ん中に立ってみると、海風を感じながら、三方から歴史が覆いかぶさってくるようです。

そのうちのひとつが市庁舎。全体を外から照らすのではなく、建物の凹凸が浮かび上がるような細かなライトアップがみごとでした。Trieste市庁舎

サン・ジュストの丘からは、旧市街が見下せます。Trieste全景

トリエステはイストラ半島では最も大きな街です。18世紀からハプスブルク帝国の重要な港町として発展しましたから、港湾の施設は大型クルーズ船や貨物船が余裕で入れるくらい大規模です。

トリエステから船に乗って、イストラ半島を巡る旅が始まりました。観光船ではなくて、地元の人たちが日常の足として使っている船なので、景色を楽しめるオープンデッキの甲板がなかったのが残念でした。クロアチアに行く船

☆ピラン(スロベニア)

トリエステからの船は1時間ほどでピラン(Piran)に着きます。乗船する時にイミグレーションは通っているので、ノーチェックで降りられます。

筆者が泊ったホテルは、街の中心タルティーニエフ広場に面していました。部屋からは広場とその後ろの丘に建つ聖ユーリ教会が眺められました。Piranタルティーニエフ広場

さらに高いところからは城塞がピランの街と教会を見下ろします。Piran城壁

城塞から眺める、青い海と赤茶の屋根のコントラストは鮮やかで、いつまでも記憶にとどまりそうです。Piran全景

海辺から丘までは細い道が迷路のように入り組んでいます。散歩していると、いつの間にかもと来た道に戻ってしまうのがおもしろい。

☆ポレチュ(クロアチア)

ピランからさらに船で1時間弱でポレチュ(Porec)に着きます。Porec全景

モザイク画が残る世界遺産の教会がある街です。
こちらへ

☆モトブン(クロアチア)

いったん海沿いを離れ、イストラ半島の真ん中にある、中世で時が止まったような丘の上の街、モトブン(Motovun)を訪れました。Motovun全景

公共交通機関のバスが運行していない時期だったので、ポレチュから半日ツアーで行きました。
こちらへ 

 ☆ロビニュ(クロアチア)

ポレチュからバスで40~50分でロビニュ(Rovinj)に着きます。バスターミナルから旧市街の入り口まで、こんな景色を見ながら歩いて10分ほどです。Rovinj全景

青い海に中世の街が浮いているようです。このあたりにはテラスのカフェ、レストランが並んでいますので、これを眺めながらゆったりすることもできます。

丘の上から見るとこうなります。Rovinj丘の上から

ロビニュにも他のイストラ半島の街と同じように海に開けた広場(チトー元帥広場)があって、その一角に旧市街への入り口の門があります。Rovinj門

ここから丘の上の教会までは石畳の細い路地が入り組んで迷路のようです。道の上にも住居が張り出しています。中世の頃から狭いエリアに人が集まって住んでいたことがわかる造りです。Rovinj細い路地

丘まで登っていく途中に、石造りの古い建物の間から海が顔を出します。夕暮れ時で、地元の人たちがくつろいでいました。Rovinj建物の間から海

夜遅くまで店の多くはオープンしていて、人通りは絶えません。9時10時になっても子供連れが多いのが驚きです。家族で食事しているのもよく見かけました。Rovinj細い路地夜

バーに入って、地元産のワインを飲んで、ほろ酔い気分で夜の街を散策しました。

☆プーラ(クロアチア)

ロビニュからバスに乗って、イストラ半島の先っぽにあるプーラ(Pula)にむかいました。所要40~50分です。

プーラはイストラ半島の他の海辺の街とはちょっと違い、中世ベネチア共和国ではなく、古代ローマの香りがする街です。1世紀に建てられた円形劇場があります。Pula円形劇場

ローマのコロッセオを小さくしたような劇場で、保存状態が良く、今も夏場にはコンサート会場などとして使われています。 Pula円形劇場内部
ローマ時代のセルギウス門。 Pilaセルギウス門
この他にもローマ時代の名残が街のそこかしこに見られます。メインストリートに面した教会の回廊にこんな壁画がありました。Pulaローマ時代の壁画

街の中心フォーラム広場は、市庁舎などの古い建物に囲まれ、テラスのカフェが並ぶ、プーラで一番にぎやかなエリアです。ここの一角にあるアウグストゥス神殿はキリスト教化される前のローマ建築で、高い円柱がひときわ印象的です。Pula神殿

城塞が街を見下ろします。Pula城

ここから見える景色も、他のイストラ半島の街と同様にみごとです。登ったところに生ビールを売っているバーがあったので、飲みながら城塞を歩きまわることができました。

☆イストラ半島への行き方

観光ガイド本やネットの記事には、クロアチアの首都ザグレブから出かける話が載っていますが、実際にはイタリアからのアクセスのほうが便利です。

筆者はトリエステから船で行きましたが、一大観光地ベネチアからもピラン、ポレチュ、ロビニュ、プーラなどへの船便はたくさんあります。

ザグレブからバスで出かける際は、所要時間にご注意ください。クロアチアのバスは複数の会社が運行しており、値段が異なるだけでなく、経路や停車場が異なり、それによってザグレブから同じ街に行く場合でも所要時間が大きく異なります。
クロアチアのバス時刻表

長距離を走るバス便では、遅れは頻発しますので、プランニングの際は時間の余裕をもっておくのも必要です。

国境をまたぐ場合、特に、クロアチアからEU域内のスロベニアに入る時のパスポートチェックが以前より格段に厳しくなり、乗客全員いったんバスを降ろされてパスポートコントロールを受けることもありますので、国境越えのバスは定刻通りに着かないと思っておいたほうがいいでしょう。

こういった多少の不便を忍んでも、イストラ半島の旅は魅力です。日本にはほとんど入ってきていないイストラ産ワインを飲みながら、ヨーロッパの歴史を感じる旅でした。

みなさんもいかがですか。