「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」カテゴリーアーカイブ

サラエボ~第一次世界大戦勃発の地

1914年、第一次世界大戦はここから始まった。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボを、そのちょうど100年後の5月に訪れた。

オーストリア皇太子暗殺現場は、観光客が集まるサラエボの街の中心近くにある。暗殺現場

隣接する建物は博物館になっている。

ここは旧ユーゴスラヴィア分裂の際の激しい戦闘が行われたところでもある。今は落ち着いた佇まいの街だが、ところどころの建物に銃弾の跡が残る。空港から乗ったタクシーの運ちゃんが頼みもしないのに案内してくれた。 街の佇まい

バルカン半島の内陸部は中世の長い期間、オスマントルコの支配下にあったため、イスラム色が強い。最近、観光地化しつつあるアドリア海沿いの街とは趣きが異なる。

街の中心にはモスクとミナレットがそびえる。このあたりは西欧とトルコの混ざり合った街並みで、楽しく街歩きできる。 広場

サラエボは首都でありながら、さほど大きな街ではない。空港、駅は日本の地方都市みたいな雰囲気がする。空港から街までは公共交通機関がなく、タクシーを使うしかない。ヨーロッパの国の首都では珍しい。

戦争後にできた高層ビルの展望台から眺めるサラエボ市街。

全景

サラエボは1984年の冬のオリンピック開催地でもある。

アクセスはヨーロッパの主要空港からのフライトになるが、便数は少ない。旧ユーゴの首都ベオグラード、アドリア海沿いの街からのバス、鉄道のアクセスもあるが、長時間かかるうえに1日1,2便しかないので、かなり不便。

それだけに、サラエボは観光地化がなかなか進まず、戦争の爪痕ともに、古い街並みを留めてくれている。

東ヨーロッパへお出かけの際は立ち寄ってみてはいかがだろうか。

世界遺産の古い橋の街、モスタル

ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産の街、モスタル。

16世紀に造られた美しい石の橋、スターリ・モスト(Stari Most,「古い橋」)を中心とする風情ある街です。イスラム文化とヨーロッパ文化が融合した独特のオリエンタリズムが漂います。

スターリ・モストはモスタル市内を分けているネレトヴァ川に架かっています。中心部が湾曲しており、全幅 4 m、全長 30 m 、川面からの高さは 24 m です。橋の両岸には橋を守る要塞化された塔が備えられています。%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%bb%e3%83%a2%e3%82%b9%e3%83%88

時折、橋から川に飛び込む若者たちがいます。観光客向けのショウで、飛び込んだ後ろにコイン入れが置いてあります。

街中の墓地に、同じ没日付が刻まれた多数の墓石を見ると、モスタルが近年経験した悲惨な運命を思わずにはいられません。ユーゴスラヴィア分裂後の戦争中の1993年に、スターリ・モストは破壊されましたが、その後、ユネスコの協力により、2004年に再建され、世界遺産に指定されました。

橋の上から街を眺めると、石造りの家々の間にモスクと天に突き出すミナレット、背景をなす山々。昼のモスタル風景

夜になるとモスクとミナレットがライトアップされ、暗闇に浮かび上がります。夜のモスタル風景

このあたりは中世、オスマントルコの支配下だった期間が長く、その頃の建築物がたくさん残っています。そのひとつ、トルコの家。トルコの家全景

オスマントルコ時代の住居と暮らぶりを伝える、観光客向けの施設です。トルコの家の中

☆モスタルへのアクセス

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボからバスで約2時間半。1日10便くらいあります。道中の変化に富んだ渓谷の風景が美しい。

最近、訪れる人が増えている、アドリア海沿いのメジャーな観光地ドブロヴニク(クロアチア)からバスで所要約2時間半~3時間半。1日3,4便あります。ドブロヴニクの旅行会社の日帰りツアーを利用することもできます。

アドリア海沿いは、中世の長い期間、ヴェネツィア共和国の支配下にありましたが、モスタルなどの内陸部は、オスマントルコ支配下にあって、イスラム文化が根付いています。アドリア海沿いからのバスの旅では、車窓から眺める風景の著しいコントラストを感じることができます。