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ロシアワールドカップ観戦記

盛況のうちに幕を閉じた2018年、サッカー・ロシアワールドカップ。

ワールドカップは最高水準のサッカーを楽しめるだけでなく、世界各国から訪れるサッカーファンとも交流できる魅力的なイベントです。その国を肌感覚で知ることもできます。

筆者は4年ごとに居ても立ってもいられなくなり、ロシアワールドカップでは4都市を訪れ、4試合を観てきました。

6/30カザン (R16) フランスvsアルゼンチン
7/1モスクワ (R16) スペインvsロシア
7/3サンクトペテルブルク (R16) スイスvsスウェーデン
7/7ソチ (準々決勝) ロシアvsクロアチア

ワールドカップ開催中のロシアがどんな様子だったのかを筆者の視点でご紹介します。

☆サッカー・ワールドカップはお祭りです

サッカーのワールドカップは一種のお祭りです。スタジアムの席に座ってサッカー観戦するだけでなく、その前後の時間、開催都市の雰囲気も心浮き立つ楽しさです。閉ざされた官憲国家というイメージの強いロシアでも例外ではありませんでした。

スペインvsロシア戦の2時間前のスタジアム前の様子。ファンたちがチャントを歌ったりして友好ムードでした。Russiaお祭りムード1

ロシアvsクロアチア戦の試合前には、スタジアム前で民俗音楽の演奏が行われていました。Russiaお祭りムード2

開催都市は歓迎ムードいっぱいでした。 Russia歓迎

ワールドカップ史上最弱のホスト国と言われて、国民の期待が高くなかったロシア代表ですが、勝ち進むにつれて、ロシア人たちのボルテージは上がりました。Russiaロシア戦

ロシアがスペインに勝った夜、モスクワ中心部の噴水に飛び込むロシア人たち。Russia噴水に飛び込むロシア人

 ☆スタジアム内の様子

ピッチまでの距離を感じさせない、すばらしいスタジアムばかりでした。陸上トラックがないのがいいですね。

スタンドでは、応援するチームのチャンスの場面では立ち上がる観客が多く、こちらもそれに合わせて立ち上がります。Russia立ち上がるファン

アルゼンチンの同点ゴールの場面では、あちらこちらからビールの噴水が上がりました。喜びのあまり、飲みかけを周囲にぶちまけるのです。

案内係の人たちはカタコト英語でしたが、みなさん親切で、マナーの良くない人に注意するなど、観客が快適に観戦できるように気を配っていました。

場内ではお酒も飲めました。ビールは大きなカップにつがれ、ソフトドリンク類はキャップを抜いたペットボトル、大きなカップの提供でした。Russiaビール

☆ロシアという国

いまさらながらですが、ロシアは広い。
ロシアワールドカップの10の試合開催都市はヨーロッパ側に寄っていたとはいえ、都市間の距離は、電車やバスで簡単に移動できるものではありませんでした。Russia開催都市地図

(出典:FIFA)

例えば、首都モスクワから最も南に位置するソチ(Sochi)までは約1700kmで、列車で38~41時間です。飛行機で移動するしかなく、2時間20分のフライトでした。

そして、ロシアは個人客が旅しにくい国でもあります。専門の旅行会社を通して、滞在するホテルと現地移動の交通機関を予約して、それらを証明する書類をもらったうえで、大使館に出向いてビザを取得しなければならないという複雑かつ時間を要する手続きが必要です。

ところが・・・・・

☆ロシアワールドカップ・チケットとFAN ID

ワールドカップ期間中はこの手続きが大幅に簡略化されました。主催元FIFAのWebページでチケットを買うと、ロシア入国と試合観戦には「FAN ID」が必要と案内されます。

テレビで試合をご覧になった方は、スタンドの観客たちがみんな首からこんなものをぶら下げていたことにお気づきでしょう。dav

取得するのはとても簡単で、所定のWebページで氏名、パスポート番号などを入力し、写真をアップロードすると、自宅まで送料無料で送られてきました。

このFAN IDがロシア入国のビザ替わりになるとともに、これをぶら下げていることでロシア滞在中にさまざまな特典が受けられました。試合開催日は試合開催都市でバスや鉄道が無料で、開催都市間を移動する夜行寝台列車にも無料で乗れました。

寝台列車ではビュッフェ車両で軽食がとれ、酒類の販売もあって、長時間乗っていても快適でした。Russia Free Ride

筆者のロシア初日は、夜9時頃にカザン空港に到着でしたが、ボランティアの若者たちが市内までの無料バスの案内をしていました。Russiaカザンのボランティアさん

Russia空港からの送迎

☆異様に明るいおもてなし

スタジアムに着くと若い女性たちがハイタッチでお出迎え。Russiaハイタッチ1

スタジアムだけでなく、無料の夜行列車で到着したホームでも。「モスクワにいらっしゃいー!」Russiaハイタッチ2

開催都市の街中のあちこちにこんなブースやテーブルが設けられ、英語を話せる若者たち(約8割が女性)が、スタジアムへの行き方だけでなく、街の観光案内もしていました。Russia観光案内1

「この近くに大きいスーパーはありませんか」という筆者の質問にも的確に対応してくれました。

駅にもありました。到着した観客にホテルまでの行き方、スタジアムへのアクセスなどを説明していました。dig

ロシアという国のイメージを覆す、至れりつくせりでした。

☆予想以上の厳戒警備

ワールドカップはロシアの国の威信をかけた大イベントですから、厳戒態勢の中で行われることは予想していましたが、想像以上でした。

スタジアム入場の際の手荷物検査とボディーチェックは、今やどこの国のスタジアムでもありますが、開催都市のターミナル駅やすべての地下鉄駅に入るのにも厳格な検査が行われていました。駅舎とホームが分かれている駅では2回ありました。 Russia駅への検問

モスクワの中心「赤の広場」に通じるすべての道でも同様の検問が行われていました。Russia赤の広場への検問

美術館などの主だった観光スポットでも同様でした。かなりの待ち行列ができることもあり、想定通りの時間で行動できないこともありました。

☆ロシアワールドカップの大会運営

開幕戦と決勝戦が行われたモスクワのルジニキスタジアム。日本で言えば国立競技場みたいなところです。レーニン像が観客を出迎えます。Russiaレーニン

ルジニキスタジアムへのアクセスは地下鉄2駅(2線)とバス停1つに限定され、決められた以外の方向に行こうとするとすぐに制止されました。Russiaスタジアムへのアクセス

徒歩でアクセスできる他の駅もあったのですが、駅への入場はできず、スタジアムへの道路は完全に封鎖されていました。試合前後の短時間に大人数の観客を混乱なく移動させるためには、無秩序な人の動きは断固阻止するということです。

スタジアムの周囲の観客の動線を作るために柵を設けることが多いですが、ロシアワールドカップでは人垣を多用していました。これはカザンでの試合後の様子。動線からはみだす観客を警備員が押し留めていました。Russia動線作る人垣

☆言葉は通じたか

事前に聞いていた通り、ロシアでは英語はほとんど通じませんでした。予約サイトで英語対応OKになっている中級ホテルでも、スマホの翻訳ソフトを使った対応をされることがよくありました。

若いボランティアの人たちとは比較的コミュニケーションが取れましたが、人によってはカタコトということもよくありました。

レストラン、みやげもの店など観光客を相手にする人たちは、英単語は聞いて理解できるし、発することもできますが、まとまった文にして意志を伝えられない、こちらが言っている文も理解できないというのが平均的なところでした。

地元客しか行かないスーパーやレストランでは単語すら通じないことがほとんどでした。

ロシアを旅する外国人にとって最大のネックがキリル文字です。かなり心配してましたが、開催都市の公共交通機関はほぼすべて英語が併記されて、英語のアナウンスもがありました。

これはモスクワからサンクトペテルブルクに行く高速列車のチケットですが、ネットの英語ページで予約したためか、ほとんどに英語が併記されていました。Russiaキリル文字

☆物価の高騰はあったか

ワールドカップのような大きなイベントで懸念されるのが、宿泊施設、交通機関の料金高騰です。

筆者は試合のチケットを確保した直後にほぼすべての宿とフライトを押さえましたので、バカ高い料金を支払わずに済みました。

筆者が泊ったモスクワ、サンクトペテルブルク、カザン、ソチは比較的大きな都市で、ホテルは平均で通常料金の2倍程度でした。ロシアには1泊素泊まり1000~2000円のホステルがたくさんあり、大会で値上がりしても数千円で、試合日直前でも空きはありました。

一方、日本代表の試合が行われたサランスクなど、宿泊キャパが多くない地方都市に泊ろうとした人たちは相当苦労したようで、試合後ホテルにたどり着くまでバスで数時間かかった人もいたそうです。

フライトに関しては、モスクワと比較的小さい開催都市を結ぶ料金が試合の2~3か月前から数倍に高騰し、試合に向かうのに最適の時間帯ではそもそも席が取れない状況になっていました。

☆街中、関連グッズだらけ

街中がワールドカップTシャツを着た人であふれていたのは、これまで筆者が出かけたブラジル、ドイツ、日韓大会以上でした。公式ショップやみやげもの店だけでなくいろんなお店がワールドカップ関連グッズを売っていました。

自販機までありました。Russia関連グッズ自販機

とにかく楽しかったロシアワールドカップ現地観戦ですが、ロシアとロシア人に対する見方はかなり変わりました。

☆2022年のカタール大会は

2022年はカタールで異例の冬12月開催です。ロシア大会とは逆に狭い地域での開催になります。スタジアム間の距離は最大で75kmとのことで、1日2試合のはしご観戦もできるようです。どんな大会になるのか楽しみです。

 

ウクライナという国

連日、悲惨な映像を目にするウクライナ。
(2022年4月23日現在)

日本からはるか遠くですが、ウクライナがこの先どうなるかによって、周辺国と領土問題を抱える日本も大きな影響を受けます。

10年前にウクライナを旅行した経験をもとに、ウクライナはどんな国か、国の成り立ちも含めてご紹介します。

☆首都キーウ(キエフ)

ドニプロ川の中流に位置するウクライナ最大の都市で、政治・経済・社会・学術・交通の中心地です。日本から空路で入る時には、まずキエフに降り立つことになります。

大都市ですが、見どころは街の中心にかたまっています。

キエフの中心、独立広場。
ウクライナ情勢を伝えるニュースでは必ずと言ってよいほど、ここの写真や映像が使われます。キエフ独立広場

広場に面して建つホテルから撮ったものです。
キエフ独立広場ホテル2

2013-14年に親ロ派の政権を倒す政変の中心になった場所です。当局の発砲で大勢の人たちが亡くなりました。

キエフ最古の教会、ソフィア大聖堂の鐘楼からの風景。キエフ一番のビュースポットです。「聖ミハイルの黄金ドーム修道院」が見えます。
聖ソフィアの鐘楼からの眺め

キエフの街のあちこちで、屋根がとんがったロシア正教の教会を見かけます。

19世紀ロシアの作曲家ムソルグスキーの名作「展覧会の絵」で描いた「キエフの大門」は、みやげ物屋が軒を連ねる観光スポットになっています。
キエフの大門

昔、キエフ市街を取り囲む城壁が築かれ、その時の入り口がこの門でした。今はほとんど崩れかけているのを、周りをコンクリートの壁を作って支えています。

キエフで一番の見どころは「ペチェールスカ大修道院」。
東スラブ民族(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ)の「心のふるさと」です。観光客だけでなく巡礼者たちもたくさん訪れます。日本で言えば伊勢神宮みたいなところです。ロシアがウクライナに執着する理由の一端がここでわかる気がします。ペチェールスカ大修道院

いかにも観光地っぽいところと、祈りの世界が混在している不思議な雰囲気です。昔から修道士たちが修行をしていた地下の洞窟はひんやりしていて、聖人になった多くの修道士たちのミイラが置かれています。

街の中心から地下鉄でアルセナーリナ駅まで行き、ここから歩いて20分くらいです。バスに乗ってもいい。

ウクライナの地下鉄の駅は、冷戦時代に核シェルターを兼ねていたため、ホームに降りるエスカレーターが異様に長い。

☆親ロ派の支配地域の中心、ドネツク

ウクライナの東部はロシア語を話す人が多く、親EU派が国の実権を握った後、2014年、分離独立を求めて抗議運動に立ち上がり、抑え込もうとするウクライナ政府軍と戦闘になりました。その結果、東部の2つの州の約半分はウクライナ政府の実効支配が及ばなくなり、ロシアの支援を得て半独立状態になっています。

旧ソ連時代から石炭が豊富に産する工業地帯でした。今もドネツクの周辺にはボタ山が残ります。採掘にあたった人の銅像は社会主義時代のものでしょう。
ドネツク炭田

筆者はヨーロッパの古い街を歩くのが大好きなのですが、ドネツクは殺風景で寒々とした感じの街並みで、写真を撮る気になれませんでした。いかにも工業都市といった趣です。

ドネツクは首都キエフから約700km(東京―岡山とほぼ同じ)で、筆者が訪れた2012年は高速鉄道が1日2便あって約7時間半かかりました。

☆西のEUを向くリヴィウ

ロシアっぽい、社会主義くさい東部のドネツクとは反対に、古き良きヨーロッパの風情が残るのが、西部の中心都市リヴィウです。

石畳の道に古い建物が並び、ドイツやオーストリアにあっても不思議ではない街並みです。中世には隣のポーランドと同じ国だったこともあり、その後、第一次世界大戦まではハプスブルク帝国の支配下にありました。
リヴィウ全景

こんなかわいい中庭もありました。
リヴィウの中庭

詳しくは⇒こちらへ

☆分断国家ウクライナ

日本での報道では、ロシアがNATOに入ろうとするウクライナの現政権を倒すために攻め込んだとされていますが、ここに至るまでの実態はそう単純ではありません。

ウクライナの公用語はウクライナ語ですが、ロシア語を母国語とする住民が東部を中心に多く住んでいて、EUよりロシアに親近感を感じています。国を挙げて西を向いているわけではないのです。ウクライナ語とロシア語はどちらもキリル文字を使い、日本人が聞いても区別がつきません。多くのウクライナ人はウクライナ語とロシア語のバイリンガルです。

旧ソ連が崩壊した時に、ウクライナは独立しました。この時に行われた住民投票では、ロシアに親近感を抱く住民が多数を占める地域も含むすべての地域が、ロシアではなく、新しくできたウクライナに帰属することを望みました。当時のロシアはすべてが混乱を極めていて、親近感はあっても「こいつらといっしょだと貧しいままだ」「新しい国には希望がありそうだ」くらいの思いだったでしょう。

その後のウクライナでは、親EU派と親ロシア派が交互に政権を担ってきました。2013-14年に騒乱を経て権力を握った親EU派が、EUやNATOへの加盟に向けて動き出すと、ロシアは親ロシア派の住民が多いクリミア半島に侵攻して強引に併合しました。

この頃のロシア経済は上向きで、生活水準は一時のどん底状態を抜け出てかなり良くなっていたため、ロシア人でなくウクライナ人であるメリットが相対的に薄れていました。そのため、クリミアで多数を占めるロシア系住民は、ロシア人になることを望み、ウクライナ政府は奪われた領土の奪回には動けませんでした。

そして、東部の2州では、親ロシア派が分離独立を求めて反乱を起こし内乱状態となりました。停戦はしましたが、ウクライナ国内に政府の実効支配が及ばない地域が残ることになりました。

☆ロシアにとってのウクライナ

スラブ民族が建てた最初の国が、9世紀から13世紀に栄えたキエフ大公国でした。キエフルーシーとも呼ばれています。ロシアもウクライナもこのキエフ大公国が文化的祖先です。そして、今のウクライナの地域がスラブ民族の居住する中心地帯だったのです。「ウクライナはロシアの高天原」と言った日本の政治家がいましたが、うまい例えですね。

ウクライナがNATOに入れば、ロシア人たちは自分たちの歴史の重要な部分が失われたような気になるのでしょう。ウクライナに自分たちを狙うミサイルが配備されるという軍事的な問題だけではなく、ロシア人たちの心の問題でもあるのです。

☆ウクライナにとってのロシア

民族的に同じルーツを持つとはいえ、複雑な思いがあるはずです。

全国民にロシアへの親近感はあるのでしょうが、旧ソ連の一部となって約70年、西側諸国が豊かになったのに比べて、貧しいままだったのは「ロシアと共にあったから」という思いがあります。1930年頃、ソ連の工業化のために穀物を供出させられ、数百万人が餓死したのも、今の反ロシアにつながっています。

ソ連崩壊後、旧東側の諸国がこぞってEU入りに向かったのと同じで、豊かになるためには西側へ行こうと思うのは当然と言えます。

☆ウクライナに行ってみよう

今はたいへんな時期ですが、コロナと戦争が終わって復興が進んだら、訪れてみたい魅力的な国でもあります。古き良きヨーロッパ、スラブ文化、社会主義の残滓が混在した不思議な世界を見ることができます。

日本から直行便が飛んでいるヨーロッパの主要都市からキエフに飛びます。安く行きたいなら中東経由もありです。

周辺国から陸路入ることもできますが、列車やバスが遅くて、そのうえ国境検問で長く留められるので、長時間かかります。筆者はリヴィウからポーランドのクラクフまで320kmを列車で移動しましたが、約8時間かかりました。バスでも同じくらいの所要時間でした。横浜から名古屋(JR鈍行で約6時間)とほぼ同じ距離です。

ともあれ、今は一刻も早く停戦して平和が戻ることを祈るしかありませんね。

白夜のサンクトペテルブルク

ロシア第二の都市、サンクトペテルブルクは広いロシアの中でも最も西ヨーロッパ近くに位置しています。

白夜の季節は夜遅くまで、歴史を感じる堂々とした建築物に囲まれた街歩きを楽しめるとともに、美術や音楽にどっぷり浸れる魅力的な街です。

サンクトペテルブルクは水の都。
街の中心街を取り囲むように流れるネヴァ川と縦横にはりめぐらされた運河をクルーズ船が行き交います。ネヴァ川と船

サンクトペテルブルクの中心「冬の宮殿」はネヴァ川のほとりにどかっと建ってます。ネヴァ川と宮殿

今は大部分が「エルミタージュ美術館」となっていて、ロマノフ王朝と革命後の政府が収集した数多くの美術品を展示しています。エルミタージュ美術館展示室

元々が宮殿なので、内部の装飾など建物としても見どころたっぷりです。入っていきなり、ヨルダン階段の豪華絢爛さに圧倒されます。エルミタージュヨルダン階段

通路の側面、天井の装飾も見事です。sdr

空中庭園。エルミタージュ空中庭園

宮殿=エルミタージュ美術館の正面は広大な広場になっています。冬の宮殿広場

白夜の中のライトアップもすてきです。
(2018年7月4日の日没から約30分後)白夜の冬の宮殿広場

サンクトペテルブルク随一の観光スポットだけあって、観光客が集中します。入るのに長蛇の行列です。sdr

現地の観光業者さん曰く、「混んでいるのがイヤだったら、冬に来てください」。

エルミタージュ美術館からネヴァ川を挟んで向こう側にあるのが「ペトロパヴロフスク」要塞。ペトロパヴロフスク要塞

サンクトぺテルブルクをほぼ東西に走るネフスキー通りが街のメインストリート。歴史を感じさせる建物が建ち並びます。これはデパートや飲食店が入ったビル。ネフスキー通りデパート

夜は多くの建物がライトアップされます。白夜の季節は空が真っ暗になりません。 白夜のネフスキー通り

18世紀後半にサンクトペテルブルクを大きく発展させたエカテリーナ2世の像。背後の建物は劇場です。エカテリーナ2世像

夜になると幻想的。エカテリーナ2世像夜

「血の上の救世主教会」は20世紀初頭、ロシアの近代化を進めながら暗殺されたアレクサンドル2世の暗殺現場に建てられました。いかにもロシアって感じの教会建築です。血の上の救世主教会

カザン大聖堂は19世紀初頭の建築。ローマバチカンのサン・ピエトロ大聖堂みたいにしたかったそうで、ロシア正教の教会にしては珍しい長い回廊を左右に広げています。カザン大聖堂

白夜に浮かび上がるイサク聖堂。日没から約1時間半後の様子です。白夜のイサク聖堂

マリンスキー劇場のメインホールはヨーロッパ伝統の馬蹄形の造りです。連日、オペラやバレエが上演されます。マリンスキー劇場

サンクトペテルブルクは18世紀初めに荒れ果てた沼地だったところに一から人工的に作られた都市です。西ヨーロッパの主要都市(パリ、フィレンツェ、ローマなど)のような長い歴史があるわけではありませんが、どっしりした建築物に囲まれながら歩いていると、実際よりはるかに長い時の流れを感じます。

筆者は7月初旬の白夜の時期に訪れましたが、日没は10時30分頃で、メインストリートは夜中まで人通りが多く、バスや地下鉄も運行していて、薄暮の空にライトアップされた古い建物を観ながらの街歩きは愉快でした。

日本からサンクトペテルブルクへは西ヨーロッパ主要都市より近く、ロシアの玄関口モスクワだけでなく、直行便が1日2便飛んでいるヘルシンキから300kmで高速列車(所要約3時間)や船(所要13~15時間)でのアクセスが良いのでお薦めです。

 

 

 

中世の玉手箱、エストニアのタリン

エストニアの首都タリン。
なんてかわいい街なのでしょうか!
タリンの「中世の玉手箱」と言っていいようなかわいい旧市街は、ヨーロッパでは人気の観光地になっています。ユネスコの世界遺産にも指定されています。

日本では観光地としてはまだメジャーではありませんが、タリンは意外にも日本からの一番近いヨーロッパの中世なのです。

☆タリンへのアクセス

タリンはヨーロッパ北部、バルト海に面しています。なんだか遠そうな印象もありますが、意外と日本からのアクセスは良いのです。

日本から直行便が飛んでいるヨーロッパ主要都市の中では最も近いフィンランドの首都ヘルシンキから船で最短1時間40分で、タリンに到着です。

日本を朝11時ころに出発すると、夕方にはタリンに居られるのです。

☆城門をくぐって中世の世界へ

タリンの旧市街を囲む長さ1.9kmにおよぶ城壁は今も中世の姿を残したまま残っています。城壁には見張り塔が点々と建ち、2つの門があります。

船で到着して、城門のひとつ「ふとっちょマルガレータ」をくぐって街に入ると、そこは中世ハンザ都市の世界。タイムスリップ感を味わえます。

☆街は2つに分かれている

まずは、展望台から地図を見ながら街全体を俯瞰しましょう。

街にはゴシック調の尖がった教会がいくつもありますが、そのひとつ「聖オレフ教会」は、長大な塔の石階段を登って、屋根の上に出られます。足場が狭く、カメラを持つ手が震えますが、180度のパノラマを堪能できます。タリン聖オレフ教会

街は大きく2つに分かれています。

港から近い下町は、中世の時代、市民たちが中心だったのに対して、下町を見下ろす丘の上には、支配者や貴族たちが居を構えました。

手前が下町、その向こうに丘が見えます。タリン教会から丘を望む

歩いてみると、街並みが微妙に違います。

☆ラエコヤ広場を中心とする旧市街

中世の昔から街の心臓部で、ここから各方向に幾筋もの路地が伸びています。観光客で賑わい、みやげもの屋やレストランのオープンテラスがずらりと軒を連ねています。

ゴシック様式の旧市庁舎が広場に面してます。14世紀に建造された八角形の壮観な聖霊教会も近くにあります。

石畳の小道を歩きまわるのも楽しみです。右に左に様々な形、色の建物が次々にあらわれます。お店をいろいろのぞいてみるのも一興です。歩き疲れたらカフェで一休み。タリン石畳の小路

☆丘の上へ

支配者や貴族たちが居を構えた丘には、エストニア屈指の要害だったと言われるトームペア城があります。その近くには展望スポットがいくつかあり、赤屋根の可愛らしい街並み、ところどころにそびえるゴシックの塔、旧市街を取り囲む城壁と見張り塔、その向こうのバルト海が一望できます。タリン丘の上から

丘の上では、比較的新しい19世紀に建築が始まった、ロシア正教のアレクサンドル・ネフスキー大聖堂 の威厳ある佇まいも見どころです。帝政ロシア時代の権威の象徴です。タリンロシア正教会

☆おしまいに

エストニアは旧ソ連の崩壊後に独立したバルト3国のひとつで、IT先進国として知られています。スカイプはエストニアで生まれました。最近では、電子政府やキャッシュレスなどのテーマで日本から視察に訪れるビジネスマンが増えています。

エストニアの首都タリンはハンザ都市として栄えた13世紀以来の街並みがよく保存され、タリンの小さな旧市街には中世の魅力がぎっしり詰まっています。

ヘルシンキから日帰りで訪れる観光客が多いですが、できればタリンに一泊して、足の向くまま気の向くままに旧市街を散策して、あなただけのすてきな中世をみつけられてはいかがでしょうか。

 

 

モルドバのびっくり!ワイナリーめぐり

知られざるワインの名産地モルドバでのイナリー2つを訪れました。巨大な地下空間に広がるワイナリーを車でまわる驚きの連続でした。

モルドバは旧ソ連が分解してできた国のひとつです。
(モルドバはどこにある? ⇒こちらへ
(モルドバ共和国のご紹介 ⇒こちらへ
モルドバには特に有名な観光地もなく、日本ではなじみのない国ですが、ヨーロッパ最貧国と言うだけあって、ワイン好きにとっては激安でおいしいワインが飲める天国です。また、地下のワイナリーが巨大なワインセラーになっていて、世界の著名人、セレブたちがワインを貯蔵しています。

☆クリコバ(Cricova)

クリコバはモルドバの首都キシニョウから北に15Kmほどにあります。筆者はキシニョウの旅行会社のツアーで行きましたが、路線バスで行くこともできます。

こんな連結カートに乗って見学に入ります。Cricovaカート

洞窟のような地下道を走ります。全長は100kmを越え、最も深いところで地表から100mあるそうです。壁際にはワイン樽やビンを収めた棚が並びます。アドベンチャー気分!dav

何箇所かでカートから降りてガイドさんの説明を聞きます。 Cricovaガイドさん

長い地下道が天然のワインセラーの役割をしているわけで、年間通して一定の気温が保たれています。外が暑い時に訪れる際は、1枚羽織るものを持っていったほうがいいでしょう。

クリコバ産のワインを買って、自分のコレクションをここに貯蔵することができます。世界の有名人所有のワインが並びます。これはロシアのプーチン大統領のもの。Cricovaプーチンワイン

地下の奥深くに豪華なテイスティングルームがいくつもあります。Cricovaテイスティングルーム1

見学の後、そのうちのひとつでテイスティングしました。Cricovaテイスティングルーム2

おつまみ付で5種類。どれも美味しかった。おつまみにはモルドバ郷土料理のパイ、プラチンタも。Cricovaワイングラスとおつまみ

おみやげに買えるワインは驚きの安さでした。ほとんどが400~800円。Cricovaおみやげワイン

☆ミレシティ・ミチ(Milestii Mici)

首都キシニョウから南に10Kmくらいにあるミレシティ・ミチは世界最大のワイナリーとして知られています。

キシニョウからミレシティ・ミチにかけては、緩やかな丘にブドウ畑が広がるのどかな景色です。MilestiMici近くのぶどう畑

ミレシティ・ミチはワイン貯蔵数(150万本以上)の多さでギネスブックにも載っています。

クリコバと同様に洞窟のような地下道を巡るのですが、ここは見学客が自分の車で乗り入れます。車を持っていないと予約もさせてくれません。ガイドさんが車に乗り込んできて案内してくれます。ミレシティ・ミチ車と樽

自分でレンタカーを運転していてはワインが飲めませんので、キシニョウからのツアーで行くことになります。

ぐるぐるまわってかなりの距離を走りました。途中で内部の説明がありました。MilecitiiMici地図

ギネスの認定書が掲示されていました。ミレシティ・ミチ・ギネス認定書

テイスティングは生バンドの演奏付きでした。見学者の国籍をきいて、その国の音楽を奏でてくれました。MilestiMiciバンド生演奏

入口近くでおもしろいものがありました。誰でも考えつきそうですが、初めて見ました。MilestiMiciワインの泉

 ☆モルドバのワイナリーへの行き方

クリコバは事前に見学の予約をしたうえで路線バスで行くこともできますが、筆者はサイトを探すのが面倒で、2か所ともキシニョウのシュテファン・チェル・マレ通りにあるベストトラベル(BESTTravel)のツアーで行きました。

クリコバへは所要3時間半で60€(¥7,500)、ミレシティ・ミチへは所要3時間で50€(¥6,300)でした。なんでも安いモルドバにしてはお値段高めです。

モルドバはワイン大国、というか、ワイン好きにはワイン天国です。クリコバとミレシティ・ミチではテイスティングしておいしかったワインが500円くらいで売っていました。キシニョウのスパーでは200円くらいから売っています。

筆者は一人旅でしたが、ワイン好きが複数で行けば、安価でたくさんのワインを買って、ホテルで飲みまわすことができるでしょう。

モルドバへは中東経由のフライトを使えば、繁忙期を除いては10万円を切る価格で往復できます。隣国ルーマニアからバスか列車で入ることもできますので、ルーマニア観光と組み合わせた旅もおもしろいでしょう。

皆さん、よい旅を!

 

 

 

 

 

 

モルドバ旅行記

2019年4月、モルドバ(Moldova)を旅してきました。
と言うと、モルドバって、どこ?
何しに行ったの? ってきかれます。

☆モルドバの位置

モルドバは旧ソ連の一部でしたが、1990年代のソ連崩壊とともに独立した新しい国です。

歴史的にはお隣のルーマニアと民族も言葉も同じですが、19世紀にロシアに取り込まれるなどの経緯があって別の国になりました。

☆何しにモルドバへ?

ずばりワインです。日本にはほとんど輸出されていませんが、モルドバは知る人ぞ知るワインの名産地です。ギネスブックにも載る世界最大のワイナリーがあるのです。

ワイナリーの話は⇒こちらへ

☆モルドバへの行き方

首都キシニョウの空港は日本の地方空港みたいにこじんまりしてますが、ヨーロッパ各地から直行便があります。筆者は隣国ルーマニアの首都ブカレストからプロペラ機で到着しました。cof

到着ロビーを出たところから市内へのバスが出ています。Chisinau空港バス停

1時間に2,3本あり、40分くらいでキシニョウの中心「勝利の門」近くに着きます。

隣国のルーマニア、ウクライナから鉄道、バスでアクセスもできます。筆者は帰路バスでルーマニアに抜けましたが、バスターミナルは市内中心の市場近くのではなく、イスマイル通りを南にバスで20分くらい行ったところにあります。⇒地図

ウクライナからのアクセスでは、国境付近にモルドバ共和国の統治が及んでいないエリア、自称「沿ドニステル共和国」があります。治安が安定していないとのことで、通過するのはやめたほうがいいでしょう。

☆首都キシニョウ(Chisnau)

街のランドマークは、勝利の門とキシニョウ大聖堂。ここが街の中心です。 地元の人たちの憩いの場という感じで、レストランやカフェもこの周囲にたくさんあります。Chisinau門と大聖堂

全体的に社会主義の香りがする街という印象です。ソ連時代に建てられた、こけおどしのような巨大な建物が特徴的です。

これはモルドバ議会。Moldova議会

筆者が泊ったホテルは典型的なスターリンクラシック造り。筆者は社会主義様式と呼んでいます。最近は欧米資本系列のホテルもできましたが、名前からして、ソ連時代はここがキシニョウで最も格式が高いホテルだったのでしょう。ChisinauHotel

街のメインストリートのシュテファン・チェル・マレ通りは賑やかで、商業施設、公的機関、劇場などが建ち並び、トロリーバスが行き交います。バスには車掌がいて、乗車してから料金を集金にきます。

通りの名前になっている15世紀の偉い王様の像もこの通り沿いの公園にあります。 Chisinauシュテファン・チェル・マレ大公銅像

キシニョウで最も活気があるのは、街中心の広大なスペースを占めている市場でした。ありとあらゆるものが売られています。ここを歩き回ると地元の人たちの生活ぶりがわかります。Chisinau市場

泊ったChisinau Hotelの近くに美しい教会がありました。内部の装飾も見事で、しばし眺めて厳かな雰囲気に浸りました。(内部は撮影禁止)キシニョウ教会

モルドバ人は民族的にはラテン系ですが、現在の主たる宗教は正教(オーソドックスのキリスト教)です。

メインストリートからひとつ入ったところにある歴史博物館には、古代から現代までのモルドバの歴史資料が展示されています。Chisinau歴史博物館

歴史的な建物を利用していて、展示室の内装も見事です。キシニョウ歴史博物館バラの間

☆モルドバを食べる

モルドバのパイ「プラチンタ」には、さまざまな具材がはさまれます。プラチンタ

日本のゴハンにあたるのが「ママリガ」。メイン料理の付け合せに出てきます。とうもろこしで作られ、これだけ食べるとほんのり甘い味がします。Moldovaママリガ1

パンみたいに具材を挟み込むものもありました。Moldovaママリガ2

☆モルドバは安い!

いくつか例を挙げますと、
上記料理は上から¥500、¥550、¥320。
上記Chisinau Hotel1泊朝食付きで¥3,100
立ち飲みカフェでカプチーノ1杯¥95
ペットボトルの水500ml¥65~90
バス1回乗車で¥12
地元産ワインのフルボトル¥200~

シュテファン・チェル・マレ通り沿いのパン屋さん。Chisinauパン屋

値札の数字に2019年4月のレート:1Lei=6.1円をかけてみてください。

☆ヨーロッパ最貧国とのことですが・・・

首都キシニョウのメインストリートを歩いている限り、貧しい国という印象はほとんど受けません。街ゆく人の身なりも、彼らが行くスーパーで売られている品物のバリエーションもヨーロッパの他の国とほとんど違わない。

ホテル、レストラン、博物館のトイレは清潔で水はきちっと流れました。

しかし、いなかに行くと街の道路はボコボコになっていたり、キシニョウでも中心地から数百m離れた地下道はこうなっていました。Chisinauインフラ傷み

インフラ整備が行き届いてないということですね。バスでモルドバからルーマニアに入ると、車窓から見える民家の造りが明らかに立派になっていたのも印象的でした。

☆おしまいに

さて、いかがでしたでしょうか。筆者が2日旅したモルドバは一言で言うとワイン天国でした。首都キシニョウはとりたてて観光地という様子ではありませんが、社会主義時代ののっぺりした没個性的な建物が多く、時代を感じさせられました。昭和の日本の地方都市と似た雰囲気もありました。

一方、訪れた2つのワイナリー(クリコバとミレシティ・ミチ)はモルドバを代表する観光地で、さまざまな国からの観光客がたくさん来ていました。

この記事が将来モルドバを訪れる皆さんのお役に立てれば幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソチ:海と山が両方楽しめるロシアのリゾート

ロシアのソチ(Sochi)と言うと、2016年の冬のオリンピックを思い出される方もいらっしゃるでしょう。筆者は2018年7月、サッカー・ワールドカップ観戦を機に訪れました。ソチは海と山が両方楽しめる魅力的なリゾート地でした。

☆ソチはどこにある?

ソチはロシア南部、黒海に面しています。

ソチの街を中心に長さ約60kmのビーチが続いています。Sochi夕焼けの海岸

☆ビーチリゾートのソチ

ソチの中心街からビーチに向かう道にはヤシの木が並び、南国ムードが漂います。キリル文字がなかったらロシアとは思えない風景です。cof

ソチの海岸沿いのプロムナードには、お洒落なカフェやレストランが並びます。cof

筆者が訪れた7月初旬は既にバカンスシーズンで、これは午前10時くらいですが、既に大勢の客が繰り出していて、たくさんのビーチパラソルが開いていました。Sochiビーチ

マリーナにはたくさんのボートが係留されています。1時間1,500円くらいのクルージングツアーもありました。
ソチマリーナ

高台には高級そうなホテルとリゾートマンションが建ち並びます。このあたりのショップやレストランは、ロシアの安い物価水準からすればお値段かなり高めです。

それでもソチの中心街から電車で30分くらい行くと、賑やかさはなくなる代わり、物価はだいぶ安くなります。筆者が泊った海辺のホテルは、通常期でツイン又はダブルの部屋が1泊朝食付き¥3,500くらい。すぐ近くにロシアの庶民が行くスーパーで食糧も安く買え、2人で泊れば、1日ひとり¥4,000くらいでリゾートライフがおくれます。

同じ並びには長屋みたいな貸別荘が連なります。1階がリビング、キッチン、バスルーム、2階がベッドルームという造りでした。Sochiビーチと貸別荘

サッカー・ワールドカップの試合開催当日でしたが、ビーチでのんびりしているのはほとんどがロシア人でした。まだ国際的なリゾートではないということです。

☆オリンピックの名残り

ソチの中心街から電車で約40分くらいにあるオリンピックパークは遊園地も併設され、遠くにはアルペン会場になったコーカサスの山々が望めます。Sochiオリンピックパークとコーカサス山脈

ソチオリンピックのメイン会場として開会式、閉会式が行われたスタジアムは改装され、サッカー・ワールドカップの会場のひとつになっていました。ソチ五輪マーク

五輪マークはオリンピックパークに限らず、ソチの街のあちらこちらに残っていました。

☆アルペンリゾートのソチ

ソチがユニークなのは、ビーチリゾートから電車で40分のところにアルペンリゾートもあることです。アルペンリゾートの玄関口、ローザ・フトル(Rosa Khutor)駅はオリンピックを機に整備されてピカピカでした。Rosa-Khutor駅

駅の横からはロープーウェイに乗って、一気に標高2200mまで行けます。ロープーウェイを降りたところにはレストランもあって、テラスで雄大な山々を眺めながらのビールがうまい!Rosa-Khutor山

ゴンドラとリフトが交互にやってきて、好きなほうに乗れました。Rosa-Khutorゴンドラ

のどかな牧場。スイスみたいですが、ここはロシアです。Rosa-Khutor牧場

ふもとのローザ・フトルの街は瀟洒なホテルやリゾートマンションが立ち並ぶ典型的なヨーロッパのアルペンリゾートです。Rosa-Khutor街

☆ソチの魅力

ロシアは基本的に寒い国で、ロシア人たちには暖かいところへの本能的な憧れがあるのでしょう。ソチ一帯はロシアでは唯一のビーチリゾートで、スターリンをはじめ、歴代の指導者たちやセレブの別荘があり、「ロシアのリビエラ」と呼ばれています。

資源価格の高騰でロシア経済が潤った2000年代には巨額の投資が行なわれ、2014年のオリンピックに合わせて、山岳地域も開発が進みました。

暑い海辺のビーチリゾートに泊っていて、わずか1時間で、雄大な山々を眺める涼しい標高2000mまで行けるところは、世界中探してもめったにありません。

☆ソチへのアクセス

ソチはモスクワやサンクトペテルブルクから遠く離れており、フライトで訪れることになります。日本からはモスクワで乗り継いで約2時間半のフライトです。モスクワ経由の他にイスタンブール経由で行くこともできます。(2018年8月現在)

ソチの空港は、ソチの中心街とアルペンリゾートのローザ・フトルのちょうど中間、オリンピックパークの近くにあります。

ソチはロシア国内ではメジャーなリゾートですが、まだ、国際的には冬のオリンピック開催地としてしか知られていません。ソチの中心街をはずせば、格安料金でリゾートライフが楽しめる穴場リゾートです。

タタールスタンに行ってきた

タタールスタンに行ってきました。
と言うと、それ、どこ? ってよくきかれます。

タタール人はロシアで最大の少数民族で、トルコ系のイスラム教徒です。キリスト教が大多数を占めるロシアの他の街とは一味違ったエキゾチックな雰囲気を期待して、2018年6月、タタールスタンの首都カザンを観光に訪れました。

☆まずは、カザン・クレムリンへ

クレムリンと言うとモスクワが有名ですが、クレムリンとは「城塞」という意味で、ロシア各地にあります。

カザンのクレムリンはモスクワと同様に、河べりの小高い丘に築かれていて、まるごと世界遺産になっています。

城塞内にロシア正教の教会とイスラムのモスクが並び立っていて、カザンという街の成り立ちを象徴しています。dig

クルシャリフ・モスクは、近くで見上げると、覆いかぶさってくるようです。Kazanクレムリンのモスク

内部は巨大な空間。2005年の再建ということで、古めかしさはありませんが、荘厳な空気が流れています。

階段で天井近くまで登って見下ろすこともできます。外も内も青を基調とした装飾でした。Kazanクレムリンのモスク内部

夜の風情は期待通りエキゾチックで見とれてしまいました。他の建物もライトアップされています。dig

一方のキリスト教。たまねぎ型の屋根とカラフルな配色が特徴のロシア正教の教会です。Kazanクレムリンの大聖堂

聖職者限定の聖なる空間と一般人が入れるエリアが正面のイコン(聖画)で区画される、正教の典型的な造りです。Kazanクレムリンの大聖堂内部

カザン・クレムリンの入り口、「スパスカヤ塔」。
ここから入ると広い一本道が続き、その両側にモスク、教会などさまざまな建築物が建ち並びます。Kazanスパスカヤ塔

夜は神秘的な雰囲気です。Kazan夜のスパスカヤ塔

カザン・クレムリンにはいつでも入れますが、教会やモスクなどの建物は夕方になると閉まります。

大統領宮殿では今もタタールスタン共和国の大統領が執務しています。Kazan大統領宮殿

近年、ロシア連邦内部で自治権が縮小され、公式には大統領とは呼ばれなくなったそうですが。

歴史的な建造物が建ち並ぶ街を見下ろせるカフェ。観光客がたくさんいました。Kazanクレムリンのカフェ

この下の川べりには遊歩道が整備され、気持ちの良い散歩が楽しめます。

☆カザンを歩く

散歩の途中にこんな荘厳な宮殿が現れました。
タタールスタン共和国の農業関係の役所として使われているので「農業宮殿」と言われています。Kazan百姓宮殿

川にかかる橋から見たクレムリン。
白い城壁が夕焼けに染まります。カザンクレムリン夕焼け

☆タタール人居住区へ

タタール人が住んでいたエリアに行ってみました。緑を基調としたモスクのまわりの家々はロシア人たちの普通の住居とは雰囲気が違います。Kazanタタール人居住区

平日の午前中のせいもあってか、地元の人たちも観光客もまばらで、きれいに飾られた通りをゆったり散策できました。

☆カザンの中心街

今のカザンは人口約120万人のロシアでは4番目に大きな都市です。ヨーロッパの街の常で、街の中心の広場がありますが、カザンでは「トゥカイ広場」です。kazanトゥカイ広場

遠くにクレムリンも望めます。この通りからクレムリンまでの約1kmの「バウマン通り」がカザンのメインストリートで、両側にいろんなお店が建ち並び、朝から夜遅くまで賑わっています。Kazanバウマン通り

「カザンの塔」もバウマン通りに建っています。闇夜に浮かび上がる夜のほうが趣あります。mde

☆タタールスタンを食べる

タタール人は1000年以上前に中央アジアから移ってきた民族ということもあって、食文化にはアジア的な特徴があります。レストランのメニューにはロシア料理として知られているものが多く並んでますが、店員にどれがタタール伝統の料理なのかをきいてみました。

「エシボシマク」は肉、ジャガイモ、タマネギが三角形のパン生地で包み焼かれたもので、レストランだけでなく、スーパーや街なかのスタンドでも売っています。タタールスタンのファーストフードのようです。Kazanエシポシマク

肉料理の付け合せかと思ったら、「クストゥブイ」は小麦の薄い生地にジャガイモのペーストが包まれていました。Kazanクストゥブイ

☆カザンへの行き方

モスクワから夜行列車で行くと12-13時間かかります。カザンの駅から街の中心トゥカイ広場へはバスか路面電車で10~15分です。

夜行列車の食堂車では軽食が取れ、お酒も飲めるので、それなりに快適なのですが、長時間横になってガタゴト揺られるのがつらい方はフライトになります。

モスクワからカザン空港へは約1時間半のフライト。空港からは電車があるのですが、1時間半に1本くらいしかなくて不便です。バスと地下鉄を乗り継いで行くこともできますが、乗り換えの地下鉄駅が終点ではないので、暗くなってからの到着だと苦労します。

☆安全なスタンへ国行ってみよう!

「スタン」のつく国って、いくつかありますが、なんだか危なそうな印象をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。いつも民族紛争とかテロやってそうとか。

「スタン」国の多くは中央アジアにあって、1990年代のソ連崩壊とともに独立しましたが、タタールスタンはロシアの真っただ中にあったため、独立せず、平和裏にロシアの中の自治共和国にとどまりました。

独立した中央アジアのスタン国にはイスラム過激派が入り込んだりして、かならずしも安全ではないのですが、タタールスタンは治安が安定してるロシアの中にあるので安心して旅できます。

首都カザンは2018年サッカーワールドカップの会場のひとつになったこともあって、公共の場に英語の併記が進み、観光旅行しやすくなりました。

バウマン通りには観光案内所もあって、英語のガイドのついた市内観光、エクスカーションも多数あります。

西欧の名所観光に飽きた方にはタタールスタンはお薦めです。