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ルーマニア個人旅行ガイド

以前から訪れてみたいと思っていたルーマニアを観光旅行してきました。(2019年4月)

日本ではあまりなじみのないルーマニアですが、日本からのパックツアーに入らずに個人旅行される皆さんのために、ルーマニアの魅力と旅するコツをご紹介します。

☆ルーマニアはどこにある?

ルーマニアは東ヨーロッパの奥まったところにあります。

1989年に社会主義体制が崩壊してから、徐々に豊かになり始め、EUにも入って、今はフランスやイタリアなどの西欧諸国と同じように自由に個人旅行できます。観光目的の短期滞在であればビザもいりません。

☆ルーマニア観光の魅力

①中世の街歩き

ルーマニア北西部のトランシルバニア地方の中世の街、シギショアラは、中世から残る城壁に囲まれた丘の上に、古い歴史を感じさせる建物がぎっしり建ち並びます。Sighisoara山上教会からの眺め

世界遺産に指定されており、昼間は観光客でにぎやかですが、ごったがえしている感はなく、みやげもの店やお上りさん向けレストランは、中世から残る建物のなかに自然に溶け込んでいます。

詳しくは⇒こちらへ

同じくトランシルバニア地方のブラショフ。Brasovスアトゥルイ広場2

トランシルバニア地方には、中世にこの地に移住してきたドイツ人たちが築いた街が多く、今もドイツの雰囲気を残しています。

詳しくは⇒こちらへ

②素朴な田舎

ルーマニアが資本主義になって30年ですが、まだ、いなかではこんな風景が見られます。Bucovina馬車

北東部モルダヴィア地方のいなかは緑の野原が広がる、のどかなところでした。英語はほとんど通じませんが、人も素朴で親切です。

③宗教遺産

ルーマニア各地に中世のルーマニア正教の教会や修道院が残ります。特に、北部のブコヴィナ地方に残る、外壁に壁画が描かられた修道院は、ルーマニア観光の一番の見ものです。Moldvita Monestry全景

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ルーマニアの首都ブカレストは、社会主義時代の無機質的な建物、この十数年で建てられたピカピカの近代的なビルの間に、古い教会がひっそり建っています。これらを訪ね歩くのがおもしろい。ブカレスト教会

④独裁者の贅沢の跡

1989年の社会主義体制崩壊で処刑された独裁者チャウシェスクが、飢えに苦しむ国民をよそに首都ブカレストに建てた巨大な宮殿。とにかく、でかい! 圧倒されます。ブカレストチャウシェスク宮殿

筆者が訪れた日はEU関係のイベントのため、入れませんでしたが、ふだんは金の装飾が施された大ホールや回廊など宮殿内部が見学できます。

代わりに、チャウシェスクの私邸だった小さな宮殿(春の宮殿)を見学しました。チャウシェスクは元は靴職人だったそうで、金ぴかのバスルームはいかにも成り上がり趣味です。チャウシェスクの金ぴかバスルーム

⑤山岳リゾート

ルーマニアの観光地化は西欧諸国ほどは進んでいませんが、それでも国内外から観光客が訪れるリゾート地はあります。

シナイアは山岳リゾート。4月下旬でまだスキー場が営業していました。シナイア雪山

麓には19世紀にルーマニアの王様が夏の離宮として建てた美しい宮殿が残っています。そのひとつ、ペレシュ城の内部の多くの部屋は絵画、彫刻、宝飾品などで飾られています。シナイアペレシュ城

リゾート地シナイアの物価は他と比べて高く、素朴なルーマニアの中ではスノッブな感じがします。軽井沢にちょっと似ています。

☆ルーマニアを食べる

ルーマニア料理と言うより、バルカン半島に共通する料理が多いです。

どこのレストランにもある肉料理、ミティ。中世の時代にルーマニアを属国化したトルコのケバブ料理が起源で、バルカン諸国どこでもあります。レストランで提供されている肉料理では最も安く、露天で焼いて売っていることもあります。ルーマニアミティ

サルマレはルーマニア風のロールキャベツ。Sighisoaraサルマレ

付け合せに出てくる黄色いのがルーマニア独特です。ママリガと言い、トウモロコシの粉を蒸したものです。

パンでできた容器に入ったスープ。パンを先に食べすぎると破れてスープがこぼれるので要注意です。かなり凝った料理だと思いましたが、地元の人の話では、一般家庭でもよく食べられるそうです。これ用のパンがスーパーで売っているとのこと。ルーマニア パンに入ったスープ

ルーマニアはワインの名産地でもあります。スーパーに行くと500円以下のワインがたくさん売ってます。

スチャヴァのワインショップでは約200円でグラスになみなみとついでくれました。量り売りでペットボトルに詰めて持ち帰る地元の人たちもいました。ルーマニアワインショップ

ブカレストの旧市街を見下ろすテラスのバーで飲んだ赤は絶品でした。ルーマニアワイン

☆ルーマニアへの行き方

日本からの直行便はありませんので、ヨーロッパの主要都市(パリ、フランクフルトなど)か中東(ドバイ、ドーハなど)で乗り継いでブカレストに行きます。

ルーマニアはヨーロッパの東の端にありますので、西欧経由で行っても、中東経由で行っても、移動距離(飛行機に乗っている時間)はさほど変わりません。

日程に合わせて乗継が便利な経由地を選ぶのがいいでしょう。値段は中東経由のほうが1~5割安いです。(2019年12月時点)

あたりが暗くなってから到着するのは避けたほうがいいので、日本を深夜に出発し、午前中かお昼頃にブカレストに到着するのがお薦めです。

電車やバスで近隣諸国からルーマニアに入ることもできます。日本からの直行便が飛んでいて、中欧で人気の観光都市ウィーンからは、ハンガリーの首都ブダペストを通り、ルーマニアのトランシルバニア地方を横断してブカレストまで行く直行列車もあります。

☆ルーマニア国内の移動

長距離であればフライトもありますが、列車とバスがメインです。鉄道駅もバスターミナルも街の中心から離れたところにあることが多いので要注意です。

長距離列車は日本のJRの特急とほぼ同等と考えていていいですが、バスはあたりはずれがあり、概して、最近の日本の高速バスに比べたら快適さは劣ります。

筆者がヤシからスチャバまで約2時間乗ったバスは、マイクロバスみたいで、かなり窮屈でした。ルーマニア路線バス

スチャヴァからブカレストまでの7時間半の夜行列車旅は揺れはしましたが快適でした。シングルルームとして使って旅費含めて約6,000円。ルーマニア夜行列車

チケットは列車、バスともに当日、窓口で買うか、事前にネットでも買えます。

☆ルーマニアで泊る

宿泊施設はどの街も高級ホテルからホステルまでさまざまあり、予約からチェックアウトまでの手順は西欧諸国と変わるところはありません。

値段は西欧諸国のおよそ半分くらいです。
(1€≒126円として計算。ルーマニアの通貨は基本的にユーロ相場と連動しています)
大都市ほど値段は高く、いなかに行くほど安くなる傾向も西欧諸国と同じです。

筆者がシギショアラで泊ったホテルは、中世の建物が並ぶ旧市街中心の広場に面した一角で、古いながらも風情ある造りで、朝食付きで約3,000円でした。ドイツやオーストリアのいなかの同じくらいの条件のホテルなら7,000~8,000円したでしょう。Sighisoaraホテル

はす向かいのホステルは素泊まりで1,000円強でした。

たくさんの選択肢はありますが、ルーマニアのどこでも街の中心になるべく近いところに泊ることをお薦めします。

みなさん、良い旅を!

 

 

 

 

トランシルバニアの旅:ブラショフとドラキュラ城

ルーマニアのいなか、トランシルバニア地方を旅してきました。低い緑の丘が連なるのどかな地方で、地理的に南のルーマニアの中心地より、西のハンガリー、その向こうのドイツとのつながりが強く、古くからいろんな文化が混ざり合った街が点在しています。

☆トランシルバニアの位置

トランシルバニアはルーマニア中部に位置しています。トランシルバニア地図

出典:GoogleMap

首都ブカレストがあるワラキア平原とは険しいカルパチア山脈で隔てられ、西に国境を接するハンガリーに向かって開けています。

ローマ時代には今のルーマニア人たちの先祖の人たちが住んでいましたが、ローマ帝国崩壊後、9世紀にはハンガリー人、12世紀にはドイツ人たちが移住してきて、城壁に囲まれた街を建設しました。

筆者は2019年5月、これらのうちの2つの街に滞在するとともに、まわりの豊かな自然を味わってきました。

☆ブラショフ(Brasov)

ブラショフはトランシルバニアを代表する古都です。ブカレストから電車で行くと、険しい山脈を越えてすぐのところに、緑の山々に抱かれるようにしてブラショフがあります。

ブラショフは12世紀にドイツ人たちが築いた街です。街を歩いているとドイツの香りがします。

ブラショフを三方から取り囲む山々は街のすぐ側まで迫っていますので、多くの通りの先には緑の山並みが顔を出します。赤褐色系の色合いの建物とのコントラストが鮮やかです。Brasov通りと黒の教会

大通りの先に、ブラショフ第一の観光名所、黒の教会が鎮座しています。高台から見下ろすとかなり巨大です。トランシルバニア地方で最大のゴシック建築です。Brasov黒の教会

ブラショフ一の繁華街、レプブリチ通りは両側のドイツ風の建物に様々なお店が入る歩行者天国です。筆者が訪れた土曜午後は、買い物を楽しむ地元の人たちでにぎわっていました。Brasovレプブリチ通り

レプブリチ通りの先がブラショフの中心、スファトゥルイ広場。カフェやレストランのオープンテラス席が気持ちいい。黒の教会の端がこの広場に面し、反対側にある旧市庁舎は博物館になっています。Brasovスファトゥルイ広場

ブラショフで泊るのは、このスファトゥルイ広場から徒歩圏がお薦めです。広場に面したホテルも数軒あります。

ドイツ人たちがブラショフに移住してくると、もともと住んでいたルーマニア人たちは街の端っこの追いやられました。このスケイ門は両民族の居住地の境にあります。Brasovスケイ門

ルーマニア人たちの宗教はルーマニア正教で、ルーマニア人居住区に聖ニコラエ教会が建っています。聖ニコラエ教会

街のど真ん中にあるドイツ風のどっしりした黒の教会とは外観も内部の造りも全然違います。 同じキリスト教でもカトリックと正教は別物です。

ブラショフは建設されて以来、オスマントルコ、ハプスブルクなどの外部から侵入する敵に何度も脅かされてきました。今も街を囲む城壁の一部が残っています。Brasov城壁

ブラショフの街を一望できる展望台が街の北西と南東にひとつづつあります。

南東のトゥンバ山の展望台にはロープーウェイで登れます。旧市庁舎とスファトゥルイ広場を中心とした街並みの向こうに、もうひとつの展望台である白い塔が見えています。Brasovロープーウェイ

このブラショフを起点に周囲の豊かな自然の中に点在するお城や教会を巡るのがトランシルバニア旅の楽しみです。筆者は一番メジャーなドラキュラの城を訪れました。

☆ドラキュラの城

吸血鬼ドラキュラの居城のモデルになったブラン(Bran)城はブラショフから約30Kmにあります。

下から見上げると寒々とした印象です。血を吸われることはないにしても、プチ怖い体験ができそうな感じがしたのですが・・・・・ブラン城全景

今のブラン城はトランシルバニア地方随一の観光地で、チケットを買ってから入場できるまで1時間近くの行列でした。現地のガイドさんによると、夏の観光シーズンには2時間待ちもざらとのこと。ブラン城長蛇の列

お城の直下にはみやげ物店が並びます。ブラン城みやげ物店

もう少し不気味な雰囲気を期待して来たのですが、場内もけっこう混んでいました。ブラン城内部

城主の部屋などたくさんの部屋が見学できます。ブラン城展示

吸血鬼ドラキュラのモデルになったヴラド・ツェペシュの肖像もありました。ドラキュラ公

このブラン城を築いたのはドラキュラ公の祖父とのこと。

☆ブラン城への行き方

ブラショフの街の中心からバスで2kmほど行ったところにあるバスターミナルからブラン城行きのバスが1時間に1~2本出ています。

しかし、筆者が訪れたのは祝日で完全運休でしたので、ブラショフで日本人(Samurai Travel、奥様は地元の方)が経営している旅行会社のミニバンで連れていってもらいました。ブラショフの旅行会社の多くがブラン城行のツアーを催行しています。

路線バスで行かれる方は、祝日でなくても通常の土日も運行本数は減りますので要注意です。

☆ブラショフへの行き方

ルーマニアの首都ブカレストから電車やバスが頻発しています。電車はブカレスト・ノルド駅から最短で2時間半。

オーストリアの首都ウィーンからも直通列車があります。長時間かかりますが、シギショアラなどのトランシルバニアの街に途中下車しながら旅するのも一興かと思います。

☆シギショアラ(Sighisoara)

筆者が訪れたもうひとつの魅力的な街がシギショアラ。

城壁がほぼ残り、その内側に中世の建物がぎっしりコンパクトに詰まっています。詳しくは⇒こちらへ

トランシルバニアはのどかな自然の中に中世の街がたたずみます。行くには不便なところですが訪ねる価値は十分です。筆者は3日間の滞在でしたが、将来もっと時間をかけてじっくり旅してみたいと思いました。

ルーマニア全体の旅ガイドは⇒こちらへ

では、皆さん、良い旅を!

 

 

 

 

 

 

 

ブコヴィナ:ルーマニアの秘境の修道院巡り

ルーマニアのブコヴィナ地方はヨーロッパの秘境と言っていいでしょう。2019年4月、このブコヴィナ地方にある世界遺産の5つの修道院を巡ってきました。

☆ブコヴィナ地方ってどこ?

ブコヴィナ地方はルーマニア北部にあり、一部はウクライナ領になっています。 Bucovina Map出典:GoogleMap

のどかな田舎です。
今も馬車が運搬手段として使われているのを見かけます。Bucovina馬車

このあたりは、ルーマニアの母体のひとつになった、中世のモルドヴァ公国が栄えた地域で、モルドヴァ公国の北部一帯がブコヴィナ地方と呼ばれています。

共産圏にあった期間が長かったこともあって、産業開発は進んでおらず、昔ながらの風景が残っています。

☆ブコヴィナの修道院を巡るわけ

修道院は日本の神社や寺のようなもので、修道士がイエス・キリストの精神に倣って祈りと労働のうちに共同生活をする宗教施設です。ヨーロッパ各地にあるのですが、ブコヴィナ地方の修道院は他とちょっと違います。

修道院の内部装飾に聖人の肖像画や聖書の一場面を題材にしたフレスコ画が描かれるのはよくあるのですが、ブコヴィナの修道院では、内部だけでなく外壁にも描かれています。

聖書を読むことができない農民たちにわかりやすく布教するために描かれたもので、描かれた当初は色鮮やかで輝くばかりであったのでしょうが、長年の風雪による劣化は進んでいます。保存状況は、修道院によって、外壁が面している方向によって、風を遮る防壁の有無によって違います。

フモル(Humor)修道院。フモル修道院

外壁にびっしりフレスコ画が描かれています。フモル修道院外壁

モルドヴィツァ(Moldovita)修道院。Moldvita Monestry全景

モルドヴィツァ修道院の外壁だけは、宗教的な題材だけではなく、戦闘場面が描かれています。兵士の顔や装備は、これが描かれた当時にブコヴィナ地方を脅かしていたトルコ軍のものです。当時の緊迫した社会状況をあらわしています。Moldvita Monestry戦争壁画

スチェヴィツァ(Sucevita)修道院は世界遺産の5つの修道院のなかで最も大きく、かつ、外壁のフレスコ画の保存状態が最も良いと言われています。残念なことに、筆者が訪れた時は大規模メンテナンス中でした。SucevitaMonestery

こうした努力が続けらているおかげで、私たちは中世の文化遺産を目にすることができるわけです。

もうひとつ、ブコヴィナの修道院がユニークなのは、宗教施設だけではなく、要塞でもあったことです。修道院は厚い石塀で囲まれ、敵の侵入を防ぐ砦として機能するように建てられています。

ヴァロネツ修道院の石塀はお城のようです。Voronet Monastery 2

どの修道院も門をくぐって入ります。これはフモル修道院。Humor Monestery 門

フモル修道院には見張りの塔まであります。Humor Monestery見張りの塔

見張りの塔から見る風景はのどかですが、建設当初はここから敵の軍勢が見えたのでしょう。Humor Monestery 周囲の風景

修道院が造られた16~17世紀、ブコヴィナはトルコなどの他民族に侵略され、町や集落が焼き尽くされることがよくありましたが、そのような時代の文物が後世に受け継がれることがほとんどなく、ブコヴィナの文化を何とか残すことができたのは、要塞のように作られた修道院だけだったのです。

☆ブコヴィナの修道院へのアクセス

起点となる街はスチャヴァ(Suceava)です。ルーマニアの首都ブカレストから列車で約7時間かかります。空路では1時間15分のフライトで1日1~3便です。 Suceava12月22日広場

ブコヴィナ修道院に電車やバスで行くのは難しい。最もアクセスが良いヴァロネツ修道院でも、最寄りのグラ・フモルルイ駅から約5kmあります。修道院までのミニバスが運行されているところもありますが、運行頻度は多くありません。

したがって、ブコヴィナ修道院巡りにはレンタカーか、スチャヴァ発のツアーを利用するのがいいでしょう。筆者が訪れたのはオフシーズンで、ツアーの最小催行人数が集まらなかったので、タクシーを借り切って5つの修道院を巡りました。約7時間で80€(≒¥10,000)でした。

スチャヴァを出発するとすぐに緑の丘をアップダウンするのどがな道が続きます。 Bucovina道路

タクシーのドライバーさんは観光ガイドはしてくれませんが、世間話の中で今のブコヴィナ地方の状況をいろいろ聞くことができました。

修道院に到着すると、タクシーのドライバーさんと待ち合わせ場所と時刻を決めて、その間に修道院を見学しました。

秘境と言っても、人里離れて周囲に何もないところではなく、数分歩けば飲み物やスナック類が買えるお店がある修道院もあります。敷地内にヨーロッパでは珍しい飲み物の自販機がある修道院もあります。しかし、ランチが食べられる飲食店はどこも近くにはありませんでした。

ツアーで訪れる際にはランチに寄ってくれるか事前に確認し、ランチタイムが設けられていない場合は、軽食類を持っていったほうがいいでしょう。

ヨーロッパの中でも日本人があまり行かないところを訪ね歩くのが大好きな筆者でも、ブコヴィナの修道院はアクセスが難しいところでした。しかし、行ってよかった!

ルーマニア全体の旅ガイドは⇒こちらへ

みなさん、良い旅を!

 

 

 

シギショアラ:ルーマニアの中世を歩く

ルーマニアの中世がそのまま残る街、シギショアラ。
2019年のゴールデンウィークに旅したルーマニアで最も印象に残った街でした。丘の上の城壁に囲まれた旧市街ではタイムスリップ感を味わえる楽しい街歩きができました。

☆塔の街、シギショアラ

シギショアラのランドマーク、時計の塔。Sighisoara時計塔

時計の塔はシギショアラの街を見下ろせる展望台でもあります。ここから入ります。Sighisoara時計の塔入口

観光客が多い時は入場制限がかかり、あとXX分待ってくださいと言われることがあります。

螺旋状の階段を息を切らせながら登った先では、眼下に中世の街、街を取り巻く緑の森のすばらしい景色を眺められます。Sighisoara時計の塔の展望台

世界の都市までの距離を示すプレートがありました。Sighisoara東京まで

塔の内部は博物館になっていて、この地方の昔の人たちが使っていた生活用品などが展示されています。

シギショアラには時計の塔以外にも塔がいくつもあり、それぞれにギルド(職人組合)の名前がついています。15~16世紀には15あったそうですが、今も残るのは9つです。

これは靴職人の塔。Sighisoara靴職人の塔

中世の職人さんたちが競い合ってシギショアラの街を発展させてきたのでしょう。

☆ドイツの香りがするシギショアラ

シギショアラの歴史は12世紀にザクセン人が入植してから始まりました。軍事的な要衝であるとともに、その後、国王から自治権を与えられた商業都市としても発展しました。そのため、今も街のあちこちでドイツ語を見かけます。

その歴史を象徴するのが、旧市街で最も高いところに14世紀に建てられた山上教会。ルーマニアで支配的な正教ではなくプロテスタントの教会です。Sighisoara山上教会

街中から山上教会へのアクセスがおもしろい。屋根のある階段を登っていきます。Sighisoara屋根付階段内部

Sighisoara屋根付階段外観

山上教会の周囲の広場からの景色。Sighisoara山上教会からの眺め

シギショアラの旧市街の石畳の道にはカラフルな家々が建ち並びます。ぶらぶらし歩きしていると、すぐに元いたところに戻ってしまいます。小さい街なのです。Sighisoara石畳の道

街の中心の広場に面したレストランから張り出すテラスで食事しました。昼間は観光客でにぎやかですが、夜はひっそりします。ライトアップされたカラフルな建物は昼間とは違った色に見えます。Sighisoara広場

☆城塞都市シギショアラ

シギショアラは街の建設時から軍事上の要衝で、敵の侵入を防ぐ城壁で囲まれていました。

時計の塔の博物館に、中世の街の様子を形どった模型がありました。城塞都市の全貌がよくわかります。Sighisoara街の模型

それとともに、城壁の一部が壊れてしまった以外は、今とほとんど変わらないのは驚きです。よくぞこれだけの街並みを保存してくれました。Sighisoara城壁

木でできている城壁内の通路も一部残っています。

☆シギショアラへの行き方

ルーマニアの首都ブカレストから鉄道で所要5時間10~40分で、直通列車は2019年4月時点で1日4本ありました。バスはさらに本数あり、所要時間は同じくらいです。

同じトランシルヴァニアの観光地ブラショフからであれば、鉄道で約3時間に対し、バスは約2時間で着きます。

シギショアラの駅とバスターミナルは同じところ(100mくらい離れて)にあります。旧市街への入り口のひとつである時計の塔から1キロくらいです。

☆シギショアラで泊る

ルーマニアの主要都市から離れているので、日帰りツアーで訪れるのは無理があり、シギショアラで泊ることになりますが、城壁内で泊ることをお薦めします。

昼間は観光客がたくさんいますが、夜と早朝は静寂に包まれた中世の街を楽しめます。そして、シギショアラは塔に限らず、さまざまな建物が夜間にライトアップされて、昼間とはまた違った風情を醸し出します。Sighisoara時計の塔の夜景

☆おしまいに

ルーマニアは日本ではまだなじみの薄い国ですが、開発が進んだ西ヨーロッパではなくなってしまった素朴さが残っています。(ルーマニア全体については⇒こちらへ

シギショアラはその中でもとりわけ魅力的な街です。1991年には「シギショアラ歴史地区」として世界遺産登録されました。

さらに物価が安いのも魅力です。現地旅行業者主催のツアー料金を除いては、泊る、移動する、食べる、すべて西欧諸国の半分以下という実感です。

例えば、
ブカレストからの列車片道が¥1,800
ブラショフからのバスは¥800
旧市街中心の広場に面したホテル1泊朝食付きで¥3,100
広場に面したテラスで飲んだビール(ボトル)が¥200
郷土料理サルマーレ↓が¥500Sighisoaraサルマーレ

2019年GWの旅から帰ってきてから皆さんにお薦めしています。