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趣味で27年間、ヨーロッパを中心に世界を旅してます。 数えてみたら約350日が旅の空の下でした。 2014年春、サラリーマンをやめて、 フリーランスの経営コンサルタントになり、 時間が自由になったのをいいことに、 半年で50日間、12か国を旅しました。 多くの人が自分だけのすてきな旅ができるように 情報をたくさん提供していきます。

不思議な首都、ブラジリア

ブラジルの不思議な首都、ブラジリアは一見の価値ありです。

近代国家の首都は、たいていはその国で最も文化の栄えた都市か、歴史の長い都市になります。しかし、ブラジルという国はリオデジャネイロ、サンパウロなどの大都市がありながら、今から50年くらい前、なにもない原野に近代技術を使って一から新しい首都ブラジリアを造り上げました。

2014年、サッカーワールドカップ観戦のためにブラジリアを訪れました。

ブラジリアの街の中心にはバスターミナル、ショッピングセンターがまとまっていて、人でごったがえしていますが、そこからまわりを見渡すと、とにかくだだっ広い。(⇒地図Brasilia広い道

建物と建物の間の距離が離れています 。街の中心近くのテレビ塔から眺めるとこうなります。  Brasiliaテレビ塔から2

幅300mくらいの大通りの先にあるのが国会議事堂などがある広場。両側に整然と並ぶのが官庁の建物。道から見ると、それぞれにXXX庁と建物の壁に大きな字で記されています。  Brasilia官庁街2

すべて車で移動することを前提に街が作られているので、私のように街歩きを楽しみにしている者にとっては困った街です。 そこでバスでぐるっと一回りしました。官庁も、商店も、ホテルも、住宅も道に沿って整然と建っています。

変わった建物がありました。  Brasiliaカテドラル外

カテドラルでした。
中はこうなっています。 Brasiliaカテドラル中

歴史を感じさせる重厚さとは無縁。かと言って、無機質、機能的というわけでもない。 時間をかけて回ればユニークな建物がもっと見つかるに違いないと思いました。 こんな首都って他にないでしょうね。

ブラジリアへは、ブラジルのゲートウェイである、リオデジャネイロ、サンパウロから空路で行きます。フライトは頻繁にあります。バスは安上がりですが、とんでもなく時間がかかります。広い国なのです。

ドイツでサッカーCL観戦

2014年9月、ドイツでサッカーチャンピオンズリーグを観戦しました。
ドルトムントで、ドルトムント VS アーセナル
ミュンヘンで、バイエルン VS マンチェスターシティ
という2日続けての好カードでした。

チケットは当日、現地で買うつもりで、ホテルの予約だけして出かけました。

ドルトムントでの試合当日の昼過ぎに、デュッセルドルフ空港に着きました。宿泊先のボーフムに向かう列車の中で黄色ユニ着た人たちから、チケットが完売していることを知りました。

ホテルに荷物を置いて、ドルトムントに到着したのが夕方5時半。試合開始の約3時間前です。市内のオフィシャルショップに残券がないか確認に行きましたが、やはり無し。
スタジアムに着くと、既に黄色ユニのファンたちで盛り上がっていました。ビールやソーセージの屋台が出ている。ヨーロッパのスタジアムでのいつもの風景です。赤色の人たちとの騒ぎの気配は全くありません。ドルトムントスタジアムのまわり

「チケット求む」を掲げていると、たくさんの人が寄ってきました。値段は券面の5割増しから2倍くらいで売られている。席の位置と値段を勘案して、キックオフ約1時間前に45€を70€で買いました。バックスタンドの端のほうの前から12列目。おそらく2ndカテゴリー。キックオフが近づけばもっと安く買えたでしょうが、早く入りたかったので妥協しました。ドルトムントスアジアム2

観客は圧倒的に男性が多い。そして、カメラで撮影している人がほとんどいない。つまりは、日常ここで観戦しているファンがほとんどということです。

場内の売店で水を買おうとしましたが、現金ではダメ。プリペードカードを買って3000円くらいチャージしないと買えないというシステムは旅行者には厳しい。

試合前の「You’ll never walk alone」の8万人の大合唱がすごい!

試合はアーセナルのパフォーマンスが予想以上に悪かったのが残念。ドルト勝利で黄色い皆さん大盛り上がり。ドルトムントスタジアム3

試合後、地下鉄で戻りました。本数が多く、激混みというほどではなかった。

ドルトムントへのアクセスはデュッセルドルフから列車で約50分、
フランクフルトからは高速鉄道ICEで2時間40分~3時間40分。乗り換え時間によって所要時間が異なります。

中央駅からスタジアムまでは地下鉄で15分くらい。さらに歩いて5分。

ナイトゲームなので、ドルトムント市内のホテルがタイトになっていることを予想して、列車で10分ちょっとの隣町ボーフムの駅前のビジネスホテルに通常料金で泊まりました。ドイツでは公共交通機関が夜遅くまで動いているので、こういうことができるのです。

翌日は、昼頃にデュッセルドルフからミュンヘンに飛びました。チケット完売は昨日と同じ状況です。キックオフ2時間前にスタジアムに着きました。

奇抜な外観のスタジアムです。ミュンヘンスタジアム昼

暗くなるとこうなります。ミュンヘンスタジアム夜

駅からスタジアムに向かう路上ではチケット売っている人がたくさん。昨日以上に買い手市場でした。90€チケットを100€で買いました。バックスタンドほぼ中央の20列目。1stカテゴリーでした。

オフィシャルショップに入るのに行列ができてました。バイエルンミュンヘンのグッズ売上が総収入に占める割合が高いのも納得です。

席について後ろを振り返ると、マンCのユースチームの人たち。
Pヴィエラがいた!Viera

CLの試合前のアンセムを聞くと、いつも胸が高鳴ります。12年前初めて聞いた時は鳥肌が立ちました。ミュンヘンスタジアム中

昨日より試合の質は良かった。マンCは敗れましたが、パフォーマンスは悪くない。

ミュンヘンの中心マリエンプラッツからスタジアムへは地下鉄で約20分、さらに歩いて15分くらいです。

ミュンヘンで泊る時は、ホテルがたくさん集まっている中央駅近くにします。オクトーバーフェストが近いせいか、通常料金より若干高いくらいでした。

ヨーロッパでサッカー観戦する方法は⇒こちらへ

 

 

スイーツじゃないモンブラン

スイーツじゃありません。フランスとイタリアの国境にそびえるアルプスの名峰モンブラン。麓の風光明媚な村に滞在して、天気が良い時を狙って、頂近くまで登って、モンブランの雄姿を眺めてみてはいかがでしょうか。

☆フランス側のふもとの街、シャモニー

フランス側からモンブランを見上げる街、シャモニー。

ちょっと歩くとすぐに街のはずれに出るくらいの小さな街ですが、ホテル、レストランの数が多く、山岳博物館もあるアルペンリゾートです。 フランス屈指の観光地なので、夏休みとスキーのシーズンはかなり混み合います。Chamonixから見上げる

☆頂近いエギューディミディへ

シャモニーからゴンドラを乗り継いで最高地点エギューディミディに向かいます。 あっという間に富士山より高いところに到着します。6~8月はここからリフトでイタリア側に向かうこともできます。標高

今、登ってきたばかりのシャモニーの街がはるか眼下に。シャモニーを見下ろす

間近に眺めるモンブラン。風が強いと頬が痛くなります。 MontBlanc全景

こんなアトラクションも。足がすくみます。 ここで係員が写真を撮ってくれます。 撮り方によっては空中に浮いているように見せられます。足がふるえ

付属のレストランで絶景を眺めながら、まずは暖かい飲み物。それから食事するもよし、地元のサヴォアワインもあります。

☆モンブランの氷河を歩く

シャモニーからは他にもいくつかの展望台に行けます。そのひとつ、氷河メール・ド・グラスを間近に眺めるモンタンヴェールへは登山電車でむかいます。

氷河の端っこを歩いて、プチ登山家気分です。氷河ここも絶景を眺められるレストランがあります。エギューディミディよりはすいていて、テラス席もあってのんびりできます。

☆モンブランへのアクセス

フランス側のふもとの街シャモニーへの行き方は3通りあります。

①パリから列車で。途中までTGVで乗り換え。所要時間5時間半~7時間。本数多数。列車の接続次第で時間がかかるのが難点。

②ジュネーブからバスで。所要1時間半~2時間。1日3便。ジュネーブのバスターミナルは駅から徒歩5分のわかりやすい場所にあります。このルートが一番のお薦め。

③スイスのマルティニから列車で。以前、筆者が行った時は悪天候でしたが、絶景路線だそうです。

④イタリアのミラノからバスで。クールマイヨール経由で約5時間。

モンブラン観光はフランスやイタリアから来るより、スイス旅の一部に組み込むほうがいいと思います。

☆モンブランを越えてイタリアへ

イタリア側の麓の街はクールマイヨール。シャモニーからバスでモンブラントンネルを抜けて、所要40分くらいです。 クールマイヨール

イタリアではモンブランはモンテビアンコを呼ばれてます。 ここもホテルの数多く、夏冬のハイシーズンにはけっこう混み合うのでしょうが、筆者が訪れた5月はひっそりしていました。

ゴンドラで展望台に登ると、はるか遠くにはマッターホルンが小さく見えます。 イタリア側

☆クールマイヨールへのアクセス

クールマイヨールへはフランスのシャモニーからだけでなく、イタリアのミラノからバスでアクセスできます。所要4時間くらい。途中のアオスタの谷に入ってからは眺めの良い旅を楽しめます。

モンブラン観光はジュネーブから日帰りで出かける人が多いですが、ここはぜひ一泊することをお薦めしたい。天気が悪い時にエギューディミディなどの展望台に登っても、周囲はまっ白で何も見えません。複数日あれば雲が切れた時を見計らって展望台に登ることができます。

麓に滞在中は、モンブランは雲に隠れて見えなくても、のどかな村を散歩したり、たくさんあるレストランでおいしいものを食べたり、と楽しみはたくさんあります。

サンパウロの東洋人街

2014年ブラジルワールドカップ観戦の旅で、サンパウロの東洋人街に行ってきました。

ブラジルはたくさんの国からの移民で成り立っている国ですが、戦前に移住した日本人のほとんどはサンパウロとその周辺に定着しました。

サンパウロの街の中心のセー広場から地下鉄で1駅のところにあります。歩いても10分ほど。赤い鳥居をくぐって入ります。

中はサンパウロ市内の様子と明らかに違った雰囲気。日本の地方の大きめの街(例えば、ぼくのいなかの津市)に近い。サンパウロ街中

地図を見ながら歩いていると、老人が「なにかお困りですか?」と丁寧な日本語で声かけてくれました。

外国に来たら自分から日本語は絶対に話さないようにしているのですが、ここでは店員のおばさんに「日本語できますか?」ときいてみました。移民のたぶん3世4世だと思われますが、「はい、少し」とのこと。このあたりの人たちの日本語はみな丁寧でした。日本では最近乱れもある敬語の使い方が完璧。

うわさに聞いていた通り、通りでは中国語もけっこう聞こえました。

定食を食べてみました。海外旅行では日本で食べられるものは食べないようししていますが、ここでは逆に、みそ汁、焼きそば、春巻、ピラフなど、日本の定食屋で食べられるものを選んでみました。移民の人たちが日本の味を守り続けているか確かめたかったのです。サンパウロ定食

みそ汁は出汁がうまくとれてないようでおいしくなかったが、他は日本で食べるのとほとんど変わらない。

日本語の新聞も売っていました。その名も、「ニッケイ新聞」。いつも読んでる日本経済新聞とは関係ありませんが、偶然にも値段は同じ¥160くらい。ニッケイ新聞

わずか2時間ほど歩いただけでは、移民の人たちが数十年してきた苦労などしのぶ由もありませんが、地球の裏側にもわが日本が息づいているのはうれしくなりました。

ブラジルにもあった中世の街、オーロ・プレット

ブラジル観光と言うと、リオ、イグアスの滝、アマゾン川、パンタナールといった大自然系がメインにきますが、ちょっと目先を変えて、古い建物が残る、風情ある街歩きというのもあります。

オーロ・プレット(Ouro Preto)はミナス・ジェライス州の標高1000~1200mの山間部にある、世界遺産の街です。 オーロプレット起伏

オーロ・プレットは17-18世紀に金鉱を求めて移住してきた人たちが住み着いた街です。今は落ち着いた佇まいですが、当時はかなり人口も多く州都として栄えたそうです。 その名残で約20のバロック建築の教会が、起伏ある街のあちこちにあり、内部のファサードや祭壇の装飾が見事です。オーロプレット教会

2つの丘とその間の谷間に街が広がっていて、石畳の道の起伏は激しく、歩くのが少々疲れました。 オーロプレット全景

観光地でもあり、筆者は安いポサーダ(民宿)に泊りましたが、こじゃれたリゾートホテルもあります。街を見渡すホテルのテラスから、丘のあちこちに教会が点々と見えます。 オーロプレットホテル

地元ミナス・ジェライス料理を食べました。 オーロプレット料理

このあたり豆料理がメインのようです。オーロプレット豆料理

リオデジャネイロからの長距離バスもありますが、筆者は州都ベロ・オリゾンチからバスで約2時間で行きました。

街の中心から徒歩10分くらいのバスターミナルに着いたのが夜8時すぎ。周囲は真っ暗。治安の悪さが喧伝される国ですから、予約してある宿まで無事にたどり着けるか不安になりましたが、同じ方向に行く人の後ろ3mくらいにぴったりくっついて行きました。

オーロ・プレットの中心のチラデンチス広場に面して建つ教会がライトアップされていました。オーロプレット夜景

これだけでもうれしくなります。夜9時すぎても人通りが絶えず、ここは夜でも危なくないんだとわかり、しばらく夜の街歩きを楽しみました。 昼間はこうなります。 オーロプレット広場

フライトでの移動が中心となるブラジル観光では、最寄の空港からバスで3時間かかることで、訪れる人は多くはありませんが、ヨーロピアンな雰囲気のする教会を観て、初期の植民時代にヨーロッパから移り住んできた人たちに思いをはせてみてはいかがでしょうか。

ミラノの喧騒に疲れたら、コモ湖でのんびり

イタリアのファッションの街、ミラノは、ビジネスでも、観光、特にショッピングでも日本人がたくさん訪れる街です。そのミラノからスイス方面にいったあたりは、湖が多く、湖水地方と呼ばれています。なかでもコモ湖は、昔、ミラノの上流階級の多くが別荘をかまえた風光明媚なところで、このあたりでは人気のリゾート地です。(→地図

ミラノから湖畔の街コモまで鉄道で1時間くらいです。幹線上にありますから、本数が多い。そこから遊覧船に乗って、湖畔の小さな街を巡ります。夏の昼間は1時間に数本あり、土日は本数がさらに増えます。
→湖の遊覧船の時刻表


湖をわたる風が心地いいです。コモ船

ベラジオ(Bellagio)はこのあたりで最も大きな街。
湖畔にはホテル、テラスのレストランがあり、観光客が群れていますが、坂が続く街中を歩いて丘の上に登ると、人影はめっきり少なくなり、静かに山と湖の眺めを楽しめます。ベラジオ広場

その対岸のメナジオ(Menaggio)。
湖畔の時間はゆったり流れます。
こういうところでビールやワインを飲みながら、ボーっとするのは至福のひとときです。
メナジオ日本で言うと箱根みたいなところですが、落ち着いた気品が感じられます。 ここからバスに乗って、スイスに行くこともできます。


観光客はミラノからの日帰りエクスカーションが多いですが、ミラノの喧騒に疲れたら、オペラやサッカーといった目的がなければ、このあたりに泊って、観光客が去った後の朝夕の静けさを味わうことをお薦めします。

 

アメリカの京都~フィラデルフィア

歴史の浅い国アメリカですが、古都と呼ばれる街はあります。17世紀、ヨーロッパからの初期の移民が住み、独立運動の中心になった街、フィラデルフィア。18世紀は北アメリカ最大の街で、今も独立宣言が起草された建物が残っています。日本で言えば京都でしょう。(⇒地図)

ニューヨークのポートオーソリティのバスターミナルからグレイハウンドのバスで2時間10分ということでしたが、行きも帰りも渋滞にはまり、3時間超の旅でした。片道$18.5。1時間にほぼ1本出ています。フィラデルフィアのバスターミナルは街のほぼ中心にあります。

アムトラックだともう少し早いですが、値段が高い。割引がないと$100以上になります。

近代的な高層ビルの間に18世紀に建てられた教会が妙にフィットしています。フィラデルフィア中心

植民地時代の建物が街のあちこちに点在しています。フィラデルフィア独立モニュメント

オープンデッキの観光バスで市内の見どころをぐるっと一周し、植民地時代に開けた通りを歩きました。 フィラデルフィア古い通り

アメリカのトップオーケストラのひとつ、フィラデルフィア管弦楽団の本拠地は、今世紀になって新築されました。フィラデルフィアホール独立記念館は入場が予約要で入れず。他にちょっと離れたところに美術館もあります。

主な見どころは中心街に集まっていて、歩きと路線バスと地下鉄を少し使うだけでまわれます。

中心街の北側は治安が悪いとのことです。

ニューヨーク滞在の折には、手軽にアクセスできますから、1泊2日でぜひお出かけになってはいがかでしょうか。

世界遺産の古い橋の街、モスタル

ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産の街、モスタル。

16世紀に造られた美しい石の橋、スターリ・モスト(Stari Most,「古い橋」)を中心とする風情ある街です。イスラム文化とヨーロッパ文化が融合した独特のオリエンタリズムが漂います。

スターリ・モストはモスタル市内を分けているネレトヴァ川に架かっています。中心部が湾曲しており、全幅 4 m、全長 30 m 、川面からの高さは 24 m です。橋の両岸には橋を守る要塞化された塔が備えられています。%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%bb%e3%83%a2%e3%82%b9%e3%83%88

時折、橋から川に飛び込む若者たちがいます。観光客向けのショウで、飛び込んだ後ろにコイン入れが置いてあります。

街中の墓地に、同じ没日付が刻まれた多数の墓石を見ると、モスタルが近年経験した悲惨な運命を思わずにはいられません。ユーゴスラヴィア分裂後の戦争中の1993年に、スターリ・モストは破壊されましたが、その後、ユネスコの協力により、2004年に再建され、世界遺産に指定されました。

橋の上から街を眺めると、石造りの家々の間にモスクと天に突き出すミナレット、背景をなす山々。昼のモスタル風景

夜になるとモスクとミナレットがライトアップされ、暗闇に浮かび上がります。夜のモスタル風景

このあたりは中世、オスマントルコの支配下だった期間が長く、その頃の建築物がたくさん残っています。そのひとつ、トルコの家。トルコの家全景

オスマントルコ時代の住居と暮らぶりを伝える、観光客向けの施設です。トルコの家の中

☆モスタルへのアクセス

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボからバスで約2時間半。1日10便くらいあります。道中の変化に富んだ渓谷の風景が美しい。

最近、訪れる人が増えている、アドリア海沿いのメジャーな観光地ドブロヴニク(クロアチア)からバスで所要約2時間半~3時間半。1日3,4便あります。ドブロヴニクの旅行会社の日帰りツアーを利用することもできます。

アドリア海沿いは、中世の長い期間、ヴェネツィア共和国の支配下にありましたが、モスタルなどの内陸部は、オスマントルコ支配下にあって、イスラム文化が根付いています。アドリア海沿いからのバスの旅では、車窓から眺める風景の著しいコントラストを感じることができます。